「彼女は図書委員をやってるってことは辛うじて知ってたから、それまで行ったことなんて全然なかったんだけど、ある日図書室に行ったんだ。彼女のことをもっと知りたかったからね」

先生は「今にしてみればストーカーみたいだけど」と付け足して、クスクスと笑った。

「それで、本を一冊借りたんだ。『クリスタル』って小説だった。…借りようとしたら、その子が驚いた表情をしてね。その時の言葉は今でも覚えてる」

数秒の静寂。そして、先生はまた続けた。

「『この本、好きなんですか?』って、そう言ってた。…もちろん、今まで読書なんて全然してこなかったから答えはノーなんだけど、そんなこと言うわけにもいかないでしょ? だから、ちょっとだけ誤魔化したんだ。『何となく読みたくなった』って」

何となく読みたくなる。

私が思うに、読書の全ての動機はそれだ。好きな作家さんだからとか、表紙が素敵だからとか、ドラマでやってたからとか、そんなものでもいい。ただ何となく読みたくなるから、本を手に取るのだ。

「そしたらその子、めちゃくちゃ喜んでてね。聞いてみたら、どうやら彼女がイチオシの本らしかったんだ。でも借りる人が全然いなかったみたいで。だから僕が借りようとしてるのを見て、舞い上がってたんだって。…あっ、そうだ」

先生はジャケットのポケットから、一冊の文庫本を取り出した。表紙に書いてあったのは「クリスタル」の五文字。

「…これ…」
「図書室に返した後、もう一回読みたいって気持ちが沸き起こってきて、本屋に行って買ったんだ。…それが、僕の読書の始まり」

そして先生は手に持っていた「クリスタル」を、さっきまで私が読んでいた本の上に重ねた。

「よかったら、読んでみて」
「…いいんですか?」
「うん。津田さんが小説を書くのにも、きっと役に立つと思うから」

そして先生は、今まで見せたことのないような笑顔を見せた。