「生まれたときから……。」

「そう、私は生まれたときからこの家にお世話になっています。だから、ここのことしか知りません。そんな私が、ほかの仕事が務まるとは思いませんね。子供のときから、親の背中を見て育ってきたものですから……。」

盛重さんは言葉を濁し少し照れくさそうに話すが、話の内容の奥深くは、俺には想像もつかないほど暗く、重いものだと悟った。そんな会話をしているうちに、コウの部屋にたどり着いた。

「ここが若の部屋です。お好きなところにお座りになってお待ちください。飲み物、持ってきますね。」

「ど、どうも……。」

俺は驚く。確かにひとり部屋というには豪華で、立派なソファーやベッドなどの家具達。しかしその豪華さをものともしない、散乱した服や、机の上に積まれたマンガ。生活感のあふれる、実に不釣り合いな空間だった。俺は少しためらいながらも、ソファーへ腰かける。盛重さんが部屋から出ていこうとしているところを、引き止めるように声をかけた。

「あのっ……辛くなかったんすか?この仕事やり始めたとき……。」

「えっ……辛いか、ですか……そうですね……もうあまり覚えてあませんが、1番覚えているのはやはり……初めて人を殺めたとき……ですかね。あの感覚は、今でも1番強く印象に残っています。もう慣れてしまいましたが……。」

「慣れるって、やっぱり……怖いもんなんすか?」

「……一昔前の私は、人を殺めることに恐怖を感じていました。今の私は……人を殺めることに恐怖を感じないことが、1番恐ろしいです。私は冷酷で残忍な人間になってしまったと……そう思います。」

「そんなことはないっすよ……こんなにも優しいじゃないっすか。俺、結構失礼なこと聞いてるし……答えなくてもいいことも、全部答えてくれてるじゃないっすか。」

盛重さんの顔は、口元は笑っていたけれど、目には哀しみが浮かんでいるように見えた。でも、少し嬉しそうでもあった。

「なぜでしょうか……私も、すべて答えるつもりはなかったのですが……黒永君と同じ痛みを共有していたと、分かったからかもしれませんね。今ならなんでも答えられる気がします。」

「……ごめんなさい……余計なこと……。」

「いえいえ、とんでもありません。私が答えたくて答えているだけです。それに、黒永君を見ていると……私が学生だったときのことを思い出します。なぜか親近感が湧いてしまうんです。だから、気にしなくても大丈夫ですよ。」

ニッコリ笑った盛重さん笑顔は、我が子を見守る母のような笑顔だった。その優しい笑顔からは想像も出来ないような彼の過去の闇を、俺は自ら知らずに踏み込んでしまったかもしれない。

「……飲み物。」

「え……。」

「何がよろしいですか?」

「あっ……お茶で……。」

「分かりました。もうすぐ若もこの部屋に来ると思います。あ、ちなみに……。」

すると盛重さんは、たくさんの本が置かれた棚へ向かうと、1冊のハードカバーの本を俺の前に置いた。こっそりと小さな声で俺に告げる。

「若の……小学生あたりの、アルバムです。」

「……えっ。」

「それでは。」

「あっ、ちょっ……。」

部屋を去る盛重さんの表情は、いたずらをする子供のようだった。廊下を歩く足音も、なんだか楽しげに聴こえた。

『コウの……小学生のときの、アルバム。』

「っ……。」

俺は罪悪感を覚えながらも、アルバムを開いた。

『こ、これは……!』

「かっ……可愛い……!」

思わず口に出てしまうほどのものだった。貼ってあったのは、小学校低学年くらいのコウの写真だった。どの写真も弾けるような笑顔で写っている。

『……これは入学式……これは友達と?……盛重さんに追いかけられてる……いたずらでもしたのか?……全部楽しそうだ。』

「……幸せそうだ……。」

『やっぱり組長さんに似てるな……でも目の色だけは、椿さんと同じ……綺麗な赤色。すごく愛されてるなぁ……コウは……。』

コウだけでなく、周りにいる人達も笑顔にあふれ、幸せいっぱいの写真ばかりだった。ふと、1枚の写真が目に入る。1枚だけコウが笑っていないその写真には、コウ、盛重さん、組長さん、椿さん、そして会ったことのない人物が3人写っていた。

『……誰だ、これ……。』

1人は、組長さんと同じくらいの歳の、どこか雰囲気の似た人。そして、あとの2人は双子のようにそっくりだった。どちらも美形と言えばいいのだろうか、整った顔立ち、綺麗な髪、真っ黒なスーツの似合う2人だった。どちらも長髪、髪色は金髪に近い茶色で、目の色は紫っぽかった。その特徴的な容姿は、一瞬で目に焼き付いた。

『……女みてぇ……。』

周りで微笑んでいる人達とは裏腹に、コウはどこか恐怖を抱いた顔をしているように見えた。まるで、その場から逃げ出したいような、そんな顔で写っていた。写真に夢中になっていると、廊下から足音が聞こえるのが分かった。1人ではなく、2人。それはコウと盛重さんだった。盛重さんは俺のことを見るなり、声をあげてしまうほど焦った顔をした。

「あっ……!」

「コウ、おかえり。」

「あぁ、ただい……あっ!テメェっ!俺のもんに触んなっつったろ!!しかもっ……アルバムじゃねぇか!どっから持ってきたっ!」

「えっ?これ、違っ……これは、盛重さんが……。」

「あぁ!?っ……シーゲー?どういうことだー?ん?」

「あはははー……私はーなにも……あっ、お茶持ってきましたよー黒永君。」

盛重さんはコウからの視線を避けるように顔をそらす。お茶の入った湯呑みを机にそっと置く。するとコウは、湯呑みから手を離した瞬間、盛重さんの胸ぐらを思いっきり引っ張り、自分の顔の前まで寄せた。

「なんだそのヤベって顔は……テメェが晒したのか?あ?」

「ひっ……あの、そうですねー……その、まっ……待ってる間、ヒマかなーなんて思って……だから、そのっ……。」

190センチ以上もある男が、20センチも違う学生に脅されて青い顔をしている。なんとも異様な光景だ。

「わ、悪かったって……見ちゃ悪かったんだろ……もう見ねぇから……。」

「……チッ……!」

コウは俺の顔を見たあと、少し頬を染めて盛重さんから手を離した。ドカッと俺の隣に座り、机に置かれた湯呑みのお茶を一気飲みした。

「っ……別に、お前が見るんなら……構わねぇんだけどよ……なんかこう、ムカつくんだっつーのっ!」

「分かるぞコウ……なんとなく言いたいことは分かった。勝手に見て悪かった。」

「ふんっ……。」

「はぁぁ……助かったぁ。」

盛重さんはおぼんを抱きながらため息をついた。盛重さんより、コウの方が強いのだろうか?少なくとも、威勢がいいのはコウの方だ。

「なぁ、コウ……ちょっと気になったんだが……いいか?」

「あ?なんだよ。」

「……この写真に映ってんのは誰だ?」

「っ……これ、か……。」

コウは写真を見るなり苦い顔をした。よほど嫌な思い出しかなかったのだろうか?一緒になって盛重さんものぞき込む。

「こいつらは、大阪に住んでるやつらで、親父の隣にいるのは親父の弟、龍一さん。母さんの隣の2人は双子で、龍一さんの部下……今じゃ元部下か……今は独立して榊谷組って名乗ってる野郎だ。兄貴が竜胆で、弟が藤ってんだ。確か、兄貴の方がカマ野郎だったな。」

「へぇ……さかきや組。」

「あぁ、竜胆君と藤君ですか。懐かしいですねぇ。」

「つか、カマ野郎って……。」

「あぁそーだカマ野郎だ。あいつら俺が年下だからって散々女装させられて……!」

コウはその身を震わせた。嫌な思い出というよりは屈辱的な思い出だったようだ。しかし、その写真に写っている人物への恐怖は、まだ拭いきれていないようだった。

「この人と……何かあったのか?」

俺は組長さんの隣にいる人を指さした。その人物を見るなり、コウは苦い顔をする。口から出る声は若干震えていた。

「……まぁ……色々、な。」

「っ……悪い……ちょっと、色々聞きすぎた……俺も全然話してねぇのに……。」

「いいんだよっ!もう過ぎたことだ。もう暗い話は聞きたくねぇ。風呂行こうぜ風呂!」

「あ……あぁ。」

風呂場へと誘うように服を引っ張り、ニコッと笑うコウの笑顔はたくましかった。灼熱の太陽に焦がれる向日葵のような、強く美しいその姿が俺の目に眩しく映る。すると盛重さんが思い出したように俺に告げる。

「あっ、そうそう黒永君。あなたの着替えのことなんですけど、新しい下着と寝間着代わりの浴衣を、勝手ながら用意させてもらいました。」

「え、嘘でしょ……そんな、申し訳ないっすよ……あとで金……。」

「いえいえ!無理言って泊まってもらったんですもの、これくらいさせてください!浴場の脱衣場に置いてあると思いますので。」

「なんか……どっかのホテルみたいっすね。」

「はははっ、確かにそうかもしれませんね。ホテルのようにおもてなしは出来ませんが、ゆっくりとくつろいでいってください。」

「ありがとうございます。」

俺はペコリと盛重さんにお辞儀をする。コウはその様子を部屋のドアの前で見ていると、俺に突進してきた。俺が頭を下げているのをいいことに、背中へと思いっきりダイブしてきた。

「とうっ!!……っははは!ちっくしょー!乗れなかった!」

「うわっ!なにしてんだよお前は……元気ありすぎか。」

「へへっ!なんかお前がいい感じにかがんでるからよ、ちょっくらな!」

「……ったく、ガキかよお前は……。」

俺はコウの子供らしい1面に、思わず笑みがこぼれる。さっきまで落ち込んでいたのが嘘のようだった。

「なぁ!風呂、行こうぜっ!」

「分かったよ、そんなに急かすな。風呂は逃げねぇから。」

「ふふっ、いってらっしゃいませ。」

笑顔の盛重さんに見送られながら、コウの部屋をあとにした。コウは長い廊下を少し早足で歩く。俺の手を引き、とても上機嫌のようだ。

「おい早いぞコウ……なんだよ、嬉しそうにして。」

「だってよ、俺初めてなんだぜ?ダチと風呂入ったり、泊まったり。そりゃテンション上がるに決まってんだろ!」

「ダチ……ねぇ……。」

俺は廊下の終わりにさしかかる手前で、コウの手を引っ張り引き止めた。反動でコウの体と俺の体の距離はゼロになる。俺の胸に飛び込んできたコウの頭を傾け、わざと息がかかるように耳元でしゃべる。

「……俺は、友達か?」

「ひっ……息、近……なんだよいきなり……!」

「質問に答えてないぞ……俺は友達か?ただの……友達なのか?」

「う、く……違う……友達じゃ……なくて……っ。」

耳に息がかかると、コウの体は痙攣するようにビクッと反応する。コウの心臓の音が俺の腹あたりに心地よく響く。一定のリズムだったものが、少しずつテンポを早めていくのが分かる。

「んっ……違、くて……。」

「可愛い……顔真っ赤だな。すっげー……可愛い。」

「っ……この、ドSがっ……!!」

コウは俺の体を押しのけるように胸を押した。俺は面白くて仕方が無かった。こんなにも俺の言葉で、いろんな表情を見せてくれるコウに、どんどんとのめり込んでいく自分がいる。

「っ……チッ……さっさと行くぞオラっ!!」

「……ふっ……。」

コウは大股でガツガツと進み始めた。足音を荒げ、耳まで真っ赤にしている。

『……可愛いやつ……。』

照れているのが可愛くて仕方が無い。俺はある独占欲のようなものが、自分の中にあることに気付く。誰にもこの顔を見せたくない、誰にも邪魔させない。そんなドス黒い思いが、己の心に積もっていくのが分かる。

『っ……ほんと、俺は穢れてるなぁ……支配したいだなんて……。』

「っ……クヒっ……ハハハ……。」

急に押し寄せる笑いを堪えると、悪役のような笑いが口から漏れる。あいにくコウには聞こえていなかったようで、相変わらずの早足で風呂場へと向かっている。この気持ちを胸の奥にしまい、コウの後に続き風呂場へと向かった。