全てが終わりを告げる時

合図とともに、倉渕羽津摩が姿を消した


そして一拍も経たぬ間に



パアァンッ!



「───ありゃ、ちょっと見くびりすぎちゃったみたいだね?」


破裂音がして、柚希が恥ずかしそうに笑った


その手には、割れた風船が握られている



「なるほど。 速さは十分にあるみたいだね」


良い人材だ、と嬉しそうに頷く慎也



「───王寺、そんなに余裕そうにしていていいのか?」


すると倉渕羽津摩は、次に慎也を標的としたらしく、慎也の後ろへと瞬間移動をした


「うん、余裕だからね」


瞬時に慎也は横へ跳び、距離を取る



「いくら距離を取っても無駄なことくらい、編入試験で満点を取ったお前なら、分かっているだろ?」


「さあ、それはどうかな?

これに学校の勉強なんて関係ないし、人の可能性を勝手に潰すのは、良くないと思うよ。

全校生徒を統べる生徒会長様なら、特にね?」



倉渕羽津摩が距離を詰める度に、素早く跳び、宙を舞う慎也


ただ逃げているだけにも関わらず、華麗に踊るその姿は、踊り子の熟練の技のようで



「慎也すごい……きれい……」


柚希はそんな彼を、瞳を輝かせながら見つめていた



そして、暫くの間その光景を眺めていれば


ピピピピ!! ピピピピ!! ピピ……


予めセットして置いたのだろう


部屋の端に設置されている本棚の上で、タイマーがけたたましい機械音を響かせた
「ざ〜んねん♪ 1分経っちゃったね?」


「ええ。 私も慎也も、風船は割られずじまいだったわね」


柚希と顔を見合わせて笑う


…………


ふと気付く



先程、タイマーの大音声は、確かに鳴り響いた


しかし、熱中し過ぎて周囲の音が聞こえていないのか、二人は今も尚、目の前でゲームを繰り広げているのだ


それも、キラキラとした笑顔で



「二人とも、もう時間よ」


声をかけても、二人からの返答はない


「いい加減、やめてくれないかしら」


少し大きめな声を出しても、やはり、止める気配は無い


「……そう」


怒りが沸々と沸き上がる


それと反比例するように、私の周辺の空気が冷気へと変化した



「うぅ……寒っ」


隣へ移動していた柚希が身震いする


「き、輝祈……?」


「………………」


柚希の問いかけには答えず、私は無言のまま



パアァァン!!


「っ!?」

「おわっ!?」


目の前で踊る、色鮮やかな二つの風船を破裂させた



「いって……何が起きたんだ?」


「ああ……どうやら輝祈がご立腹のようだね」


痛そうに顔を歪め、風船を握っていた方の手を、二人揃って押さえ、蹲っている



私はそんな彼らに近付き、見下ろしながら言葉を投げかける


「いつまで遊んでいるつもりなの。

もう、とっくに1分経っているわよ?

さあ立って。 テーブルを戻しましょう」
再び部屋の中央にテーブルが置かれ、四人は席へ着く



「まったく……あなたたちのせいで、2分は無駄にしたわ」


「ははっ、ごめん。

つい夢中になってしまったよ」


「すまない……だが、2分も経っていなくな……」


「勿論、説教の時間も含めて、よ」


倉渕羽津摩の質問が終わる前にそう答えれば、彼はバツが悪そうに目線を下げ、頬を掻いた


はぁ、と溜め息を一つ吐く


と、柚希がこちらを向いて、尋ねてきた


「ねえねえ輝祈っ。

さっきの破裂って、どうやったの??」


「ああ、簡単なことよ。

風船内を〝空間支配〟して、気圧を上げたの」



そう答えれば、柚希は目を見開き


「簡単なこと、なのかな……?」


慎也へ同意を求める



「いや……うん、まあ……

動いている物体の空間支配は、難しいと聞くけど、輝祈にとっては、簡単なんだと思うよ」


慎也は言いながら、苦笑を返した



「───それはともかく、慎也。

熱中していたにしろ、テストはできたのよね?」


私が問えば、慎也は満足そうに頷く


「ああ、もちろんさ。

集中していたおかげで、しっかりとデータが取れたよ」


倉渕羽津摩の方へ視線を向けながら、慎也は話し出す



「先ず、輝祈と柚希も見ていたように、速さは十分にある

これは、かなりの戦力になると思うよ」


それを聞いて、倉渕羽津摩は、当たり前だとでも言うように天狗になる
「但し、思い上がらないでほしい。

倉渕会長には、大きな改善点があるからね」


「なっ……」


相手を褒め、思い上がらせた瞬間、釘を刺す


自信を羞恥心へと瞬時に変えるその姿に、慎也の腹黒さが、ありありと感じられた



「───倉渕会長の改善点は、二つ。

一つは、移動する直前、移動先を目で確認していること。

知能が高いもの相手なら、すぐにやられてしまうよ?


そして、もう一つは……」


「猪突猛進タイプであること」


慎也の声に重ねれば、彼は大きく頷いた


それは、説明の受け渡しを意味している



「柚希の風船を割った後、あなたは慎也を次なる標的とし、そして1分間能力を使い続けた。

───私の位置や動きなんて、確認することもなく」


「そ、それはっ……王寺の後に……」


「生徒会長という立場の人間の頭脳は、その程度のものだったのかしら?

本当の戦闘の際、一部の敵を相手にして、その他の敵を後回しになんてしていたら、すぐに殺られてしまうわ。


物事に一心に向き合うことは良いことだけれど、戦闘の際には捨てること。

それに、視線誘導の術くらい、習得すること。

能力だって、今みたいに無計画に使い続ければ、命をも削るわよ」



……言い過ぎてしまったと、後悔した


辛辣な言葉で、大人気なく高校生を傷付けてしまったと、自分を恨めしく思った
けれど、私がこうしなければ、彼はきっとこのままなのだ


そしてそのまま、戦場へと赴き……


その先の結末など、考えたくもない



私が嫌われるだけで、誰かが犠牲にならずに済むのなら、

私は迷わず、誰かを守る選択をする



私のその言葉に、倉渕羽津摩は案の定、傷付いた顔をし、そして───激怒した


「っなんだと!?

人を馬鹿にするのも大概にしろ!

一つのことしかできない自分の弱点など、とうの昔に把握している!!

それにっ、俺はまだ、この組織に加わることを承諾してなどいない!!」


鬼の形相でそう叫ぶと、バンッ!とテーブルを叩き、倉渕羽津摩は席を立った


そのまま、肩を怒らせながらエレベーターへと向かう



「……今日はここでお開きにしようか。

ちょっと外まで見送ってくるよ」


その言葉を残して、慎也も倉渕羽津摩の後を追う


二人が分厚い扉の向こうへと消えた後、気が付けば、雫が頬を伝っていた



「ごめんなさい……ごめんなさい……」


伝える相手のいないその言葉は、空気へと静かに溶け込んでいく



「……自分を責めないでよ。

傷付けてしまったとしても、輝祈の言ったことは、正しかったんだから」


隣に座っていた柚希が、背中を撫でながらそう言ってくれる


けれど、心が晴れることはなくて


私は暫く、その場で小さく謝り続けていた───
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚

「───元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、

四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、

元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る───」


毎朝の習慣である言葉の呪符を唱え終え、そっと目を開ければ、向いていた朝日の光が目に染みた


この路地は早朝だけ、日が差す



昨日、倉渕会長を見送った後、部屋へと戻れば、輝祈は冷静を装っていたが、その目元には泣いた痕跡が見られた


僕がいない間に何が起きていたのか。 輝祈本人が言おうとしなかったのだから、僕も敢えて聞くことはしなかった


でも、涙の理由を、僕は理解している


輝祈からも柚希からも聞いたわけではなく、僕の予想でしかないが、きっとその予想は間違っていない



彼女はおそらく───人を傷付けてしまったことに、涙していた



そう思えるのは、辛辣な言葉や冷血な態度で隠された心には、深い優しさが満ちているということを、知っているから


輝祈と出会ってからの、七年という月日の中で、何度もそれを感じたから───



「……もう、七年も経つのか……」


柚希と出会ったのも、輝祈と出会ったのも、もう七年も前のことなのか


そう思えば、ふと、昔の記憶が脳裏に蘇った
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚

柚希と出会ったのは、七年前の春の終わり


星が僅かにチラつき始める、黄昏時のことだった



何気なく散歩をしていた時、狭い路地で、白く、一般的なものより少し大きな犬を見つけた


幼い僕は、その丸くなって震える背中に声をかける───何も、考えずに……



『ここで何をしてるんだい? 犬くん』



今思えば、なんと危険な行為だったんだろうと、呆れてしまう


陰陽師の家系に生まれたからには、もちろん霊力も、それなりに備わっていて


意識するまでもなく、視えてしまうのだ


幽霊や妖怪などの、人には見えぬそれが


声をかけたあの犬が、もしも柚希ではなかったなら、僕はどうなっていただろう……



目の前のそれに声をかければ、恐る恐るといった様子で顔を上げた


『!! っ僕が、見えるの……?』


脳に直接届く声で、話しかけてくる


ああ、この犬は妖怪なのかと、幼かった僕は、その時初めて理解した


見たところ危害を加えられることは無さそうなので、継続して話しかける



『妖怪にも、悩みがあるの?

僕で良かったら、話を聞いてあげるよ』


すると、目の前の犬は目を丸くし、そしてとても小さな声で言った



『……たす、けて……』


今度は僕が、目を丸くする番だった
まさか、助けを求めてくるとは思っておらず、面食らう僕に、犬は話し続ける



『僕、ある人間に殺されて、こうなっちゃったんだ。

今、その人に追われてて……だから、助けてほしい……』


事情は全くと言っていいほど、分からなかったが、追われていることだけは把握する



『うん、分かったよ。

……もし良かったら、僕の家においで。

話はそこで聞こう』



家の門を開けば、まだ両親は帰ってきていないようだった


犬を連れて門をくぐり、玄関を通り、2階の自室へ入る



向かい合って床に座れば、犬は再び、話し始めた


犬───彼の話はこうだった



彼を殺し、そして現在、彼を追っている人間は男で、名を高橋というらしい


高橋は数年前まで霊能商法を生業としており、隣町では、にわかに噂されていたようだ



だが、技術が進歩した現代では、霊能力を信じる人間は徐々に減少していき、

廃れたその商法では生計を立てられなくなった高橋は、普通の仕事へ就こうとした


しかし、過去の噂は悪い尾ひれが付いた状態で広まっており、陰気な見た目も相まって、受け入れてくれる場所はどこにも無かった



そんな人間達を憎み、恨んだ高橋は、自分が恨んだ人間を、病気や死に至らしめることができる〝狗神〟を使役しようとした


そのために、野良犬だった彼を捕らえ、飢餓状態にし、その首を打ち落とし、土へと埋め……


そうして、狗神としての彼を生み出したのだった
『……今話したことは、高橋が毎日、独り言のように呟いていたことなんだ。


僕は狗神になっちゃったけど、生きていた頃、時々ごはんをくれた、人間たちのぬくもりが忘れられなくて……

呪うなんて良くないって何度訴えても、高橋は聞く耳を持たなくて……


憑き物としての性質上、僕は高橋から離れられなくて……っ……

───高橋に言われるがまま、僕は何人もの人間を呪い、そして殺した』



苦しげに話す彼は、人間を呪う生き物でありながら、それを頑なに拒む───そんな優しさと愛情を持った狗神だった



『高橋の隙を突いて、この町まで逃げてこられたけど、あの人はきっと、僕を探して、捕まえに来る。

……だって、あの人は恨んだ人間を全員呪う気で、あの人の復讐は、まだ全然、終わっていないから』



高橋という男は、いったいどれほどの人間に、恨みを持っているのだろうか


そんなこと、赤の他人で部外者だった僕が、分かるはずもない


……でも、一つだけ、僕にも分かることがある


それは……


〝彼を捕まえた高橋は、また彼を殺人道具として利用する〟ということ


何か、彼を助けられる策はないだろうかと、思考を巡らせる


『どうすれば……どうすれば君を、助けることができる……?』



目の前で俯く、この慈悲深い狗神を救いたいと、ただひたすらに考えた