全てが終わりを告げる時

「あ……ううん、何でもない

皆ごめん、驚かせて」


苦笑いをしてそう言うと


数秒の後、皆、何事も無かったかのように、元の状態へ戻った


「大丈夫? 輝祈」


未來が心配そうに、顔を覗き込んでくる


「うん、本当に何でもないから」


〝何ともない〟という表情を浮かべて、平然を装う私に


未来はまだ何か言いたそうだったが


丁度その時、チャイムが鳴り、渋々といった感じで、自分の席へと戻っていった




……先程見えた、黒い物


あれは、この世界で何かが起こる時に、必ず発生するもの


それが良いことか、悪いことかは判断できないが


陰陽師や占い師などの、特別な力を持つ人々は


昔からそれを見て、災害などに備えることが多かった


あれは、特別な力を持つ者にしか、見る事ができず


今、ここで私が『あれが見える』と大声で叫び、指を指したところで


この教室の人間は、誰一人として、あれが見えないため


ただの変な奴か、中二病としか思われない


そうなると、今後のこの学校での生活が気まずくなり、行動もしにくくなるため


周りに教えては、絶対にならないのだ



あの黒い物が見えたのは、学校の敷地内


つまりは、この学校で何かが起こるという事


細心の注意を払わなければ
そう思っていると、ガラッと教室の前扉が開き


HRを始めるために、担任教師が入ってきた


「起立、礼」


日直が号令をかけ、HRが始まる


「えー、突然だが、今日は転校生を紹介する」


後頭部が薄くなりつつある、少し年配の担任教師が、物語などで定番の、その言葉を発した途端


「まじで!?」

「よっしゃー!!」

「やったー!!」


教室内が一気に、騒がしくなった


何人かは席を立ち、教室中を走り回っている


あまりの五月蝿さに、声を発しない静かな部類の人間達は、耳を塞いだ


無論、私も、その一部である


「静かにしないか!! 早く席へ戻れ!!」


担任教師が、青筋を立てながらそう叫ぶと


教室内はしん、と静まり返り、走っていた生徒達も、渋々といった顔をして席に着いた


それを確認した担任教師は、一度、咳払いをした後


「綾瀬、入ってこい」


扉を挟んで、廊下に居るのであろう転校生にも聞こえるように


少し大きめの声でそう告げる


再び教室の前扉がガラッと開き、転入生と思われる人物が入ってきた


先程、教室中を走り回っていた男子生徒が、隣の生徒に、「よっしゃ、女子だぜ!」と耳打ちしている声が聞こえた
転校生はゆっくりと、教壇の前まで進んでくると


「皆に自己紹介を」


という担任教師の言葉に静かに頷き、こちらへ体を向けた


肩までの漆黒の髪に


少し吊りあがり気味で大きな、同じく漆黒の瞳


華奢な体つきで


肌は雪のように白く、真っ赤な唇がよく映えている


世間一般的に見て〝美少女〟の部類なのだろう


教室内の誰もが息を呑み、その美豹に目を見開いた


普段あまり驚かない私も、その時ばかりは目を見張った


しかし、私が驚いた理由は、その美豹ではない


彼女の表情だ


普通の転校生ならば、初対面の人間が、目の前に多く存在し、緊張で顔が引き攣っているか


これからの新しい生活に、期待で胸を膨らませ、満面の笑みか、だろう


しかし彼女は、そのどちらでもない


彼女の表情は〝無〟なのだ


喜びも、怒りも、哀しみも、楽しささえも感じさせない、全くの無表情


その何も読み取れない表情に、冷や汗が流れ、彼女に対して恐怖の感情を抱いた


こちらを向いていた彼女は、教室内の人間を一通り見渡した後、ゆっくりと言葉を発した


「……綾瀬実栗です。よろしくお願いします」


無機質な声だった


美豹に見蕩れていた周りの生徒達も、その声に、はっと我に返った
「綾瀬の席は、廊下側の一番後ろだ」


「はい」


担任教師が、そう声をかけると、彼女は静かに返事をし、ゆっくりと通路を進んで、席へ着いた



私の席は、窓側の最前列


そして彼女は、廊下側の最後列


私と彼女の間は、この教室内で最も距離がある



着席するのを、最後まで見届けた担任教師は


「今日は─────」


と連絡事項などを述べていたが


恐らく誰も、彼の話を聞いている者は居ないだろう


何故なら、教室内に居る生徒達は皆、転校生に対して、様々な思いを抱いているはずだからだ


私も無論、担任教師の話など聞いてはいない



綾瀬実栗(アヤセ ミクリ)……


いったい彼女は、何者なのだろう……



私の今までの日常が、ガラガラと音を立てて崩れ、一変した
人間は


何も変わらない、今までと同じところに


突然見慣れない〝モノ〟が入ってくると


気になり、自然と目で追ってしまう習性がある


それは誰しもが持ち、無くす事はできない


それが習性なのだから



それは人間が学習の過程で習う


〝反射〟と呼ばれるものなのだろうか
彼女──綾瀬実栗が転校してきてから数日が経った今


この学校で色々なことが変わった



一つ目は人々の休み時間の過ごし方


休み時間を告げるチャイムが鳴ると


クラスや学年、性別に関係なく、彼女の周りに
多くの人間が集まり


彼女に話しかけたり、その容姿に見蕩れたりしている


それは昼休みだけでなく、授業の合間というたったの数分間でも変わらない



二つ目は、この学校で密かに行われているという〝人気投票〟の変化


未來の話では


毎週水曜日に、この学校の中で飛び抜けて派手な〝Star's〟と呼ばれるグループの人間が


この学校で〝一番人気な人〟を決めているらしい


〝Star's〟なんて、派手なグループが付けそうな、ありきたり過ぎる名前で、正直、馬鹿馬鹿しい


まあそれは置いておくとする


そして今まではこの学校の生徒会長である、


〝倉渕羽津摩(クラブチ ハヅマ)〟という人物が一位をキープし続けていたが


今週、その連勝記録のようなものが、綾瀬実栗によって破られたらしい


聞いただけの話なため、私にはよく分からないが


生徒会長は、相当なショックを受けているという



三つ目は、この変化の張本人、綾瀬実栗について


初日、恐怖を覚える程の無表情だった彼女は


日が経つにつれて、表情が一つひとつ増えているのだ


本当に一日経つと一つ、また一日経つと一つ、という風に


傍から見れば、この学校での生活に慣れてきて緊張が解けたように思っているのかもしれないが


私にはまるで、日を重ねる度に表情を一つずつ覚えていっているように見える
そして最後に、私が気がかりでもあること


今まで人気投票の一位をキープし続けていたという倉渕羽津摩には


当然ながらファンクラブというものが存在する


そしてその中の数人は必ず、倉渕羽津摩を一位から蹴落とした綾瀬実栗に敵意を抱いている


彼女が転校してきた二日後には、現にそのファンクラブらしい女子生徒数人に


放課後呼び出されているところを目撃した


集団リンチに遭い、明日は頬に傷でも付けて学校に来るのだろうと思っていたのだが


その予想は打ち砕かれた


翌日登校してきた彼女の顔や手などには傷一つ付いていなかったのだ


見えないところを負傷したかと考えもしたが


動きには何の不自然さも無い


そして更に、驚くべき事が起きた


綾瀬実栗を呼び出した女子生徒数人は、校長の元へ行き


自主退学をしたというのだ



いったい、綾瀬実栗と女子生徒達の間に何が起きたというのだろう


彼女に対する謎が深まるばかりだ
昼休み、そんな事を、頬杖をつきながら一人で黙々と考え続けていると


ダンッ


「ねぇ輝祈!」


未來が私の机に、勢いよく両手をついてからそう叫び、机がガタッと音をたてて大きく揺れた


その衝撃が腕を伝って顔を襲い


眉間に皺を寄せて未來を睨み上げると


「あ、ごめん...」


未來はしゅん、となって小さく謝った



「で、何?」


頬を擦(サス)りながら用件を聞く


これでくだらない話だった時には指の一本や二本、へし折っても見逃してほしい


すると未來は


「あ、うん! あのねっ!




実栗ちゃんに話しかけてみない?」


興奮気味にそう言った


突然な話に思わず片眉が上がる


……綾瀬実栗に……話しかける...か


人間と話すのはあまり好きではないが


綾瀬実栗に話しかけるのならば


彼女の事が何か分かるかもしれない


面白そうだ



それに、もしかしたら、消えた女子生徒達の行方を掴める、糸口となるかもしれない



「うん」


私はそう未來に返した
未來の問いへの答えは、いつもこうだ


短く、一般的な人間が、語尾などに付けるであろう何かしらの装飾も、抑揚も殆どない


それは私の性格が、そういうサバサバしたものだからなのだが


未來の前なら、自然体でいられるのだ



中学校に入学当初、誰とも関わろうとしなかった私に


当然の如く、誰も話しかけようとしなかった



……ただ一人を除いて


彼女は周りの人間に、見せつけるかのように


〝私、伊勢崎未來!! よろしくねっ!〟


大声で話しかけてきた


初めは、こんな人間に話しかけて


何かに利用しようとしているのかと思ったが


未來にはそういった、下心のようなものが、全くと言っていいほど存在しない


否、完全に存在しない


単純と言うべきか、素直と言うべきか


それからは、周りの人間も少しずつ、私に話しかけるようになっていった


ありのままの私を見て、話しかけてくれた


受け入れてくれた


だから私は、自然体で未來と話をし


時折、本当の笑顔も見せる



〝あの事〟を除けば、何でも話して良いとさえ思っている

全てが終わりを告げる時

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