「私っ、伊勢崎未來!
未來っていう字は〝未来〟の旧字を使っている
んだよ!!
旧字なのは、お父さんとお母さんが〝人と人との繋がりを大切にしてほしい〟って考えたからなんだって!!
だから、実栗ちゃんとも仲良くしたいから、よろしくねっ!!」
興奮気味の未來は、息継ぎをする事も無く、一気に喋り切った
そんな未來の様子に、驚くでもなく、呆れるでもなく、綾瀬実栗の完璧な笑顔は、全く崩れなかった
〝こんな人間が本当に存在するのだろうか〟
目の前に実際に存在するというのに、信じる事ができない
「...、...き? ……輝祈!!」
「……っ!!」
未來の声で我に返った
「あ、ごめん……
雛桜輝祈、よろしく」
発したその声は、密かに震えていた
私が初めて、恐怖という念を抱いた人間
できることなら、彼女と関わることは、なるべく避けたいと本能が訴えている
しかしそれ故、彼女には何かあると確信がある
近々、〝あの人〟たちに話そうと決めた
彼女は未だに、完璧な笑顔を貼り付け続けている
「綾瀬実栗です
こちらこそ、どうぞよろしく」
そして少し笑みを深めた彼女
私の震えた声に、未來と綾瀬実栗が気付いたのかは、分からなかった
この世界には
科学的根拠が何一つ無くとも
存在している〝術(ワザ)〟があり
〝モノ〟が居る
陰陽術、魔術、霊術
それに対抗するかのように
妖怪、魔物、幽霊が
人類が初めてそのような類のものを見つけてから
長き時を経て
様々なものが進歩し、誕生したが
それは今も変わらず、密かに存在する
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚
とある町の薄暗く細い路地
日が当たらなく湿った空気と、恐ろしい雰囲気が漂うそこからは
風の悪戯なのか、奇妙な音が聞こえてくる
見るだけでも気味が悪いその道を、通ろうとする人間など殆ど居ない
稀に興味本位で通る愚かな人間が居るが
そんな人間は決して、帰ってくることは無い
その先に何が待ち受けているのか
帰らぬ人間達がどうなったのか
それを知っている者は
この世界に、片手で数えられるほどしか存在しない
その路地の横を通りすぎる町の人間達は
〝この先はきっと地獄に繋がっている〟
〝魔界かもしれない〟
〝悪魔が住んでいて、入ってくる人間を喰い殺しているって噂だ〟
〝いや、もしかしたら反対に、天国なのかもしれないぞ〟
〝ならお前行って確かめてこいよ〟
〝はぁ!?嫌に決まってんだろ〟
〝なぁ、もう行こうぜ? 気味が悪くてしょうがない〟
そう言って、そそくさと、その路地から離れてゆく
その想像は、あながち間違っていないのかもしれない
そう思って、路地に入ってゆく少女はふっ、と笑みを零した
たとえ興味本位だったとしても、路地に入ってしまった部外者は
決して生きて帰る事はできないのだから
犬も、猫も、鼠も
蟻さえ入らないその路地の先には
不思議な雰囲気を纏った
一軒の家が建っているのだ
不気味な暗がりにも、奇妙な音にも、恐ろしい噂にも臆する事無く
少女はどんどん、路地の奥へと足を進めてゆく
暫くすると、少し先に例の家が見えてきた
家の周りには、どこからともなく霧が立ち込めている
しかしその霧は、境界線でも引かれているかのように、周辺の家々には全くかかっていない
それどころかこの霧は、この路地を通った人間にしか見ることはできないのだ
路地を通らなければ、たとえどの方向から見たとしても、それが上空であっても
無論、そんなことを知っている者は、やはりこの世界に数人しか存在しないのだが
「…………」
黙々と足を進めていた少女が、家の前へ漸く辿り着き、ピタッ、と足を止めた
路地に入ってから、既に十五分程経過している
もう慣れたことなのだが、もう少し距離が短くならないものか、と少女は小さく溜め息を吐いた
ギギギ、とドアが軋む音を聞きながら、中に足を踏み入れる
そこは一見、ひっそりとした喫茶店のように、目の前に長いカウンターがある
しかしそこに、椅子は存在しない
理由は単純に、椅子を用意する必要が無いからだ
外装は、周辺の家々と溶け込ませるために、派手過ぎず、地味過ぎずで、そこらの一軒家と何ら変わりない
内装は、時々調査にやってくる、水道会社や電気会社の人間に怪しまれないように、というただの〝飾り〟でしかない
何故なら、この家の用途は…………
地下にあるのだから
黒いローブを着て、フードを顔が見えない深さまで被り、カウンターに一人立っていた人間が、少女に声をかけた
「いらっしゃいませ。
失礼ながら、お名前と証をどうぞ」
声だけならば、30代半ばの男性のようだ
「私よ、慎也。 雛桜輝祈」
そう言って少女は、右手の袖を捲り、肘近くに描かれている魔法陣のようなものを男に見せた
男は少しフードを持ち上げ、その〝証〟を確認すると
「...ふっ、久し振りだね、輝祈」
一度笑い声を漏らした後、フードを取り、顔を露にした
青みがかった黒髪に紺色の瞳
端正で若々しいその顔立ちは、とても30代半ばには見えない
「...その声、本当によく作られているわね
とても17歳とは思えないわ」
「あぁ、そうだろう?」
「でも、そこまでする必要はあるの?」
「念には念を、ね
それに、人間を騙すのって面白いじゃないか
完全にバレなかった時に感じる興奮といったらもう……」
きっと後者が、彼にとって本来の目的なのだろう
そう言って、うっとりとした表情をする彼を、少女は呆れたような表情で見つめた
王寺慎也(オウジ シンヤ)
容姿だけでなく、その名前からも印象が強まり
初対面の人間は誰しも、彼のことをどこかの王子様のように思うのだが
段々と話をするようになると、気付くのだ
彼の性格は少々……いや、かなりひねくれている、と
「……それで、今日はどうしたんだい?」
彼のその問いに、少女が真剣な顔つきへと変わった
「……少し、皆に話したいことがあるの」
「何? もしかして、この町の人間に恋でもしたのかい?」
少年は意地の悪そうな笑みを浮かべ、茶化すようにそう言ったが
少女の顔が微動だにしなかったため、余程重要な話なのだと瞬時に悟った
「...ごめん、じゃあ行こうか」
少女はその言葉に無言で頷き、少年は少し罪悪感に見舞われながら、店の奥へと入っていく
少年の後を、少女は無言のままついていった
目の前の黒い戸を、静かに横に引き開けた少年は、少女が部屋の中へ入ったのを確認すると、戸を閉め、幾つも付けられている鍵を全てかけた
ここから先にあるものは、決して部外者にバレてはならないからだ
そして、入ってすぐに見えるエレベーターに、二人で乗り込んだ
少年が自身の細長い指の先で〝地下1〟と書かれたボタンを押すと、体が一瞬浮遊感を感じ、エレベーターがゆっくりと動き出した
エレベーターが下降する時の、機械音のようなものを聞きながら、少年が少女を見ると
少女は俯き、下唇を噛み締めており、その横顔はとても重苦しい雰囲気を漂わせていた
彼女はこれから、一体何を話そうとしているのだろうか
少年がそう思った時、ポーン、と到着を告げる音が鳴り響き、エレベーターの扉がゆっくりと開いていった
エレベーターの扉が開いた瞬間、私に何者かが抱きついてきた
〝何者かが〟と言っても、その正体は分かっているのだが
はぁ、と溜め息を吐いた後、暫く待ってみたが、それは一向に離れる気配が無い
「……柚希、そろそろ離して」
遂にしびれを切らして、そう言うと
「やだ!!
だって輝祈、〝コウコウ〟って言うやつに入ってから、全然来てくれないんだもん!!」
柚希はそう反論し、私はまた溜め息を吐いた
八重瀬柚希(ヤエセ ユズキ)
ふわふわとした栗色の髪に、透き通った、まるで宝石のような琥珀色の瞳
年齢よりも幼く見えるその顔と同様に、性格も子供っぽく愛嬌がある
……時にそれを武器にして、欲しい物を手に入れる事もあるが
まあ、そこを除けば、慎也と正反対とも言えるだろう
「……そういえば、そうだったわね」
「〝そういえば〟!?
輝祈にとって僕らって、そんな存在なの!?」
目に涙を溜め始めた柚希
……柚希を泣かせると面倒な事になる
「...柚希、泣かないで」
そう言っても尚、涙が溜まり続けている柚希
どうしたものか、と困りながら、眉間に皺を寄せて解決策を考えていると
「柚希、もう十分なんじゃないか?
そろそろ止めてあげないと、輝祈が可哀想だよ」
突如、今まで黙っていた慎也が口を開いた
「…………」
「柚希」
「...はーい」
そう言って渋々といった様子で、涙を拭った柚希
...おかしい
そんな簡単に、この柚希が諦めるのだろうか
一度欲しいと思った物は、誰が止めても諦めず、そして必ずと言っていい程に手に入れてしまう、頑固な柚希が
それに、〝止めてあげないと〟?
という事はつまり……
「全部、仕組まれていた事なのね?」
「ご名答」
「ごめんね、輝祈!
でも、輝祈が全然来てくれなかったから、僕らすごく寂しかったんだよ?
そしたら、路地を通る輝祈の気配を感じたから、慎也と話して、ちょっと虐めてあげようってなって♪」
「はぁ……」
今日一日で、一体何度、溜め息を吐くのだろう
「私も悪かったわ。 本当にごめんなさい」
「うん! じゃあこれからは、たくさん来てね?」
「...ええ」
ニコニコと嬉しそうに笑っている柚希と
呆れ半分、申し訳なさ半分で気まずい私
この状態をどうにかしてほしい、と慎也を藁をもすがる思いで見つめると、それに気付き
「……そろそろ本題に入ろうか」
慎也がそう切り出した
部屋の中央に設置されている、少し大きめの長方形の机を囲むように、三人で周りの椅子に座った
先程まで笑顔だった柚希も、真剣な顔つきになり、部屋の中を静寂が包んでいた
その静寂を壊すように、私は静かに話し始めた
「……数日前、〝あれ〟を学校の敷地内で見つけたの」
〝あれ〟というのは、空に漂っていた黒い物体のことを示している
二人は、それが何を意味するか瞬時に理解し
「えっ!?」
「ここ数年間、何も無かったというのに、今更かい?」
柚希と慎也も動揺を隠せずに、そう問うてきた
私はそれに無言で頷き、更に言葉を続ける
「そしてその日、私の学級に一人の少女が転校してきたわ」
「...それは、ただ単に、偶然とかでは無いのかい?」
柚希も首がもげそうな程、何度も頷き、同意を示す
「いいえ、そんなはずは無いわ
だって彼女が……
私がここに来た理由なのだから」
「……そう。 ……じゃあ取り敢えず、その転校生について、容姿や性格、行動などを一通り、聞かせてほしい
もし気になることでもあるのなら、それも踏まえて」
冷静にそう言った慎也
しかしまだ、先程のことで動揺しているようだ
当の本人である慎也も、気付いていないのだろうが
机の上に置かれている彼の手が、先程から何をするでも無く、ただただ忙しなく動いているのだから
「...ええ。 なら大まかに説明するわね
転校生の名前は綾瀬実栗
漆黒の髪と瞳で、肌が雪のように白くて、整った顔立ちをしていて...世間一般で言う、〝美少女〟というものなのかしら
休み時間の度に彼女の周りに人だかりができて、色々な質問をされているけれど
出身地や前の学校について聞くと『遠く』としか答えず、その後、問い続けてもただ微笑むだけ」