「お疲れ様でした。お先に失礼します」
ブラック系のビジネススーツに着替えて、
この四月から同僚になった職場の人たちに静かにお辞儀をして挨拶をすると
私は駐車場で待つ、愛車の方へと玉砂利の上をヒールで歩きながら向かった。
鞄の中から鍵を取り出して車に向けてリモコンボタンを押すと、
ドアはカチャリと音をたてて鍵を開ける。
高校を卒業してすぐに研修が始まって、社会人の一歩を踏み出した私は
慣れない生活にも、ようやく慣れてきた頃だった。
私の職場は『お伊勢さん』『大神宮さん』と親しく呼ばれる伊勢神宮の新米舞姫。
正式な役職としては舞女【ぶじょ】と呼ばれる。
だからと言って、私が神社の娘かと言えばそう言うわけでもない。
私の父親はサラリーマンだし、母もパートをしながら私を育ててくれた。
そんな普通の一般家系の私が、高三の進路を決める時に
ひょんなことから、神宮の舞姫さんになるための面接を受けて今に至る。
幼い頃から近所の神社の神事で、舞姫をしたこととか、その祭りに今も演奏と言う形で
携わり続けているのもアピールポイントになったのかもしれない。
だけど……ただ一つだけ言えるのは、
幼い頃から神宮の舞姫さんと言う仕事に憧れ続けて就職したわけではないと言うことだった。
神社の広い敷地から歩き続けてようやく到着した駐車場には私の愛車、
真っ黒なボディのトヨタ・ハイエース。
お父さんが車を買い替えるからと、私に譲ってくれた車だった。
決して可愛らしいとは言えないけど、私にとっては実用的な車だった。
運転席に乗り込んでエンジンをかけると、車内に広がるには激しいビートが刻まれる
メタルと呼ばれるジャンルのサウンド。
そんなビートに体を委ねながら、私はシフトをドライブへと動かしてサイドブレーキを解除すると
アクセルをゆっくりと踏み始めた。
毎年大勢の観光客が訪れる神宮。
今日も伊勢詣で来た観光客たちに気をつけながら職場を後にする。
朝熊道【あさまみち】を走り抜けて鳥羽へと帰りつくと、
市街地を少し走って自宅へと帰りついた。
「ただいま。母さん」
パートが終わってすでに帰って来ていた母が私を迎え入れる。
「楓文もお疲れ様。
今からどうする?」
「今日、晩御飯先に食べてて。
今からもう一度伊勢まで出掛けてくるよ」
「そう。気をつけて、安全運転でね」
今も玄関の花壇の手入れを続ける母さんの前を通り抜けて、
階段を駆け上がり、二階の自室に入るとベッドの上にビジネススーツを脱ぎ捨てて
衣装ケースの中から適当に私服を取り出す。
デスクのPCの傍には、高校時代からの彼氏でもある祥永こと酒徳祥永【さかとく さちひさ】と
名古屋のライヴハウスの前で撮影した2ショット写真。
そして……私が憧れ続ける、UNA【ウナ】の写真。
じっとUNAの姿を見つめて、ゆっくりと目を伏せると私はギターケースを担いで
部屋を後にした。
台所で水分補給を終えて、パントリーに入っていたお菓子を一つ口の中に放り込むと
そのまま玄関から再び飛び出す。