「柊茉優、という名前を知っているでしょう?」


知っていますか、という疑問口調ではなく断定口調で尋ねてくるあたり、やはり彼女は〈僕〉なのだと改めて実感する。彼女の口から出てきたその名を、確かに僕は知らないわけではなかった。けれどもそれは聞き覚えがあるという程度のもので、決して僕がその柊茉優という女子と親しくしていたというわけではない。


むしろ逆だ。柊茉優は、小学生の頃に僕に対するいじめに加わっていた女子の中でもリーダー格の人物だ。女子トイレに投げられた教科書を汚げに拾って、そして馬乗りにされて身動きが取れない僕を喉で笑っていた。僕は基本、他人のことはどうだっていいし、そんな他人の顔も名前も覚える必要なんてないと思っているのだけれど、あのときばかりはこんなやつらに負けてたまるもんかという感情が今では考えられないくらいに大きく膨らんでいたから、気に入らないけれど彼らのことはよく覚えている。


あんなやつらのことを記憶に留めておくくらいなら、「喜怒哀楽を失ってしまった人間は、きっと誰よりも強く生きられる気がするんだよね」と言った、あのときだけ言葉を交わしたあの彼女のことを覚えていたかった。人間の記憶は、ときに残酷だ。


知らないという4文字が僕から出てこないのを確認した彼女は、


「まずは柊茉優に、復讐をします」


私がこんな風になってしまった最大の原因は柊茉優にありますから、とやはり表情を変えることなく、華奢で絆創膏だらけの顔や身体に似つかわしくない言葉を放った。そしてそれは、「柊茉優を一緒に殺しに行きましょう」という意味として解釈すべきものでもあった。