考えてみると、あの柊介の襲撃の夜以来、エリーと顔を合わせるのは初めてだった。
先日の、酷い生理痛の日のことを打ち明ける。
大雨の中、駆け付けてくれた柊介。
思わず受けた懺悔と、子供のように小さく見えた背中。
「なるほどねぇ。」
何故か少し口元を緩めて、エリーは腕を組んだ。
「天晴れだなぁ、柊介さん。」
『何が?』
「何はともあれ、また少し藤澤の気持ちを引き戻したんだ。」
『引き戻されてなんてないっ!汗』
よくもまあ、こんな端折りまくった説明でそう感じたと思う。
きっとエリーは、私の言葉尻や声色から、柊介への気持ちの変化を読み取ったんだ。
「分かったよ、ごめん。笑
別れることは考えてないの?選択肢の一つとして。」
『考えてない、わけではないんだけど・・・。』
あれからまた少し。見つめ直した自分の気持ち。
『想像できないの、柊介以外といる自分が。』
これが、女の打算なのか弱さなのか分からないけれど。
『大人になって、初めてちゃんとした恋愛が柊介で。
自分の中では、結婚とか・・・もうずっと先まで想像してしまってきて。今更、その未来図の相手を柊介以外に変えろって言われても、全く想像が出来ないの。
だからと言って、柊介を許せない気持ちは変わらないんだけどね。
自分がまた誰かを同じくらい好きになれるか分からない気持ちもあって、怖いんだ。』
「柊介さん以外と付き合う自分が、想像できないってことか。」
『うん・・・』
頬づえをついたエリーは、視線を遠くへ投げた。
「なるほどね・・・。」
何考えてるの?
不意に黙り込んだエリーの横顔に声をかけたかったけれど。
どこか、苛立っているようにも見える冷たい表情に、言葉は出てこなかった。
氷が溶けて、水とアルコールで分離したモヒート。
温くなった液体は、妙な不安を煽りながら喉に落ちていった。
今日は珍しく終電に間に合うということで、4人で駅までの道を歩いた。
相変わらず何かをワァワァ言い合う廣井さんと眞子の後ろを、私とエリーが並んで歩く。
エリーは未だ口数が少ないままで、私のフリにも適当な相槌を繰り返す。
私が会話を振らなければ、すれ違う人たちの会話がはっきり耳に入るほど沈黙になった。
なんか怒らせるようなこと言ったかな、私。
打算っぽい話に、ウンザリされた?
嫌われたかも、と思ったら喉の奥が苦しくなった。
「今週の土曜、空いてる?」
ふいに聞こえた声に、またすれ違う人の会話かと思ったら。
エリーの黒目は真っ直ぐ此方を見ていて、話しかけられたんだと気付いた。
『土曜って・・・明後日?』
「そう、ちょっと急だけど。予定どう?」
『特に・・・何も予定は、ないけど。』
柊介とこうなってから、週末の予定がガランと空いた。柊介なしの自分の薄っぺらさを、ひたすら思い知る日々。
「じゃあ、8:00に迎えに行く。」
立ち止まったエリーにつられて、私の足も止まる。
「汚れてもいい格好で待ってて。」
『・・・え?汚れてもいい、かっこ?』
悪戯にフッと細くなったエリーの瞳に頬が鳴った瞬間、眞子の声が遠くで響いた。
眞「とーわー!終電!」
反射的に、眞子に呼ばれるまま体が動き出す。
今度はエリーがつられて、二人で緩い駆け足になった。
『はち、はちじね、』
「そう。」
『あれっ、けどなんで?どこ行くの?』
「秘密。」
思わずもう一度止まりそうになる足を、眞子の「十和子!」という声が引きずって。
何とか滑り込んだ改札、山手線と京王線で私たちは別れる。
「おやすみ。」
おやすみ、と返そうとしたところで、待ち構えていた眞子に手を取られてエスカレーターを駆け下りる。
眞子の、「すみません」とごった返す人を掻い潜る声と、階段を叩くヒールの音が他人事みたいに遠く聞こえる。
明後日、土曜日。
エリーが私を迎えに来てくれる。
上がっていく心拍数は、久々の駆け足のせいなんかじゃない気がした。