心音が反応する。

追い詰められたこのシチュエーションより、彼に呼ばれた名前に反応する。



なに、この。
身体が浮くような甘い感覚は?



目をそらしたいのに、形勢を立て直して言葉を発したいのに、身体が言うことを聞かない。
八坂さんの瞳から目が離せない。

この人の引力に、勝てない________















「お疲れ〜・・・さっまでしたぁっ!!!」

『廣井さん!』


八坂さん越しに見える会議室のドアが開いて、廣井さんが一瞬見えて。

だけど私たちを見て即、そのまま動きを巻き戻そうとするのを間一髪で呼び止めた。

八坂さんも前のめりになった姿勢だけを直して、ゆっくりと廣井さんを振り返る。



八「廣井さん、お疲れさまです。」

廣「お、お疲れ・・・」


廣井さんの意味深な目配せに、必死で首を振る。
大丈夫、私たちはお取り込み中なんかじゃないっ!!汗


八「会議用のデータが壊れました。彼女に手伝ってもらって、何とかなったところです。」

廣「そ、そうなの?」


今度は八坂さんの言葉を鼓舞するように、必死で頷く。
未だ訝しげな表情ながらも、廣井さんはやっと会議室に入ってきた。



今がチャンス!逃げなきゃ、なんか雲行きが怪しかったし!!汗




『じゃあ私、もう行きますねっ!名簿は5分以内にあそこから出しときますんで!』

廣「おう。悪かったな、なんか巻き込んだみたいで。」


ガタガタ立ち上がって、真向かいにいる八坂さんの顔を出来るだけ見ないようにして。
廣井さんに会釈して、そのまま傍を通り過ぎようとしたとき________




八「藤澤さん。」

『はいぃっ!』


逃げたいのに、彼の声がジミーチュウのパンプスに急ブレーキをかけた。


八「例の件は、まとまり次第連絡します。」

『はあ・・・』

八「だからそれまで、」



恐る恐る、斜左上を見上げる。






八「僕以外に、勝手に付いて行かないように。」






声も言葉も振り下ろす視線も。
何もかもが、甘美色したサディスティック。

こんな犬みたいな命令されてるのに。
悔しいことに、熱が上がる。



『わた、わたしは八坂さんの犬ですかっ!』

「違うの?」



辛うじて声を振り絞れば、面白そうに口元が上がる。


勝てない。
私、八坂さんには一生勝てない。



『〜〜っつ、』

その時、やっと視界に入る驚愕フェイスの廣井さん。
だめだ。あの顔、絶対カン違いしてる。やっぱり今日のところは退散する!汗


『お疲れさまでしたっ!!』


労いを吐き捨てて大股で歩き出せば。


八「藤澤さん。」


また名前を呼ばれるけど、今度は絶対立ち止まらない。

知らない!もう八坂さんなんて知らん!




「ありがとう。」

勢いよく飛び出す会議室。
ドアが閉まる寸前、背中が聞いた声は八坂さんのだった。












デスクに戻って、約束どおり役員名簿を修正して3階会議室のコピー機に送る。

出力されるこれを受け取るのは、たぶん八坂さんなんだ。


そう思ったら、何だか印刷ボタンを押す指が甘く痺れて。

カチリと押した感触が、やけに長く身体に残った。