いつもより早く出勤した翌日。まだ誰もいない朝のフロアで、デスクの上に見慣れない紙袋を見つけた。
個性的な炭文字のデザインに、浮かんだ“福岡”のキーワードとある笑顔。
逸る気持ちで覗いたそこには、期待に応える小箱があった。
鈴懸。私の大好きな、福岡銘菓の一つ。
「お早う、体調はどう?」
『お早うございます、ご迷惑をおかけしました。』
背後から掛けられた声に反射的に頭を下げると、先輩は穏やかな微笑みで首を振った。
「ううん、今日も無理しないで。風邪?出来るだけ早く帰ってね。」
生理休暇、もらったこと。小堺課長は伏せておいてくれたらしい。
いいのに別に。こっそり胸に秘めてくれたのかと思うと、何だか笑えた。
「ああ、それね。昨日江里くんが持って来たのよ。」
先輩の視線が、私の抱える紙袋に落ちる。
『昨日?』
昨日は木曜日。今日が金曜日。
そう言えばエリーが東京に戻って来るのは、今日だったはず・・・
昨日ってことは、1日早く戻って来たの?そしてその足で、これを_______?
コトリと鳴った胸音を誤魔化そうと、大袈裟な動作で紙袋から小箱を取り出した。
『み、みんなで戴きましょう、ここの最中すっごく美味しいんですよ!』
「知ってる、私たちはもう昨日戴いたわ。」
『え?』
「江里くん、私たちには別にくれたのよ。“これは皆さんで、こっちは藤澤さんに。”って。
仲良いのねぇ、相変わらず。」
もう、頬の鳴る音を隠す術はなかった。先輩に軽く頭を下げて、携帯を片手にフロアを出た。
繋がらない呼び出し音に焦れる。耳が熱い。エリーの声が欲しい。
留守録のメッセージが流れて、リダイヤルを押そうとした手を止める。
通勤中かも・・・仕方ないな、またお昼にでも。
ゆっくり踵を返そうとした足を、画面に浮かび上がったLINEの通知で止めた。
送信者はエリー、アメフトのボールのアイコン。
“ごめん、いま新幹線の中。どうした?”
理由も無く気が急いて、声に出しながら返信をタップする。
『鈴懸!ありがとう、昨日帰ってたの?』
“1日早く終わったから。今日は出社できたんだ、体調は?”
『大丈夫だよ。せっかく昨日持って来てくれたのにごめんね。犬の写メも可愛かった、ありがとう。』
“いえいえ。あいつ、レオンっていうんだよ。取引先の看板犬。眉毛がイイだろ。”
『うん、すっごく可愛かった!綺麗なチワワだね。
私が鈴懸好きなこと、何で知ってたの?』
出勤してきた小堺さんの姿が見えて、挨拶を交わして。
震えた画面を覗くのが少し遅れて。
“前に買って帰った時、喜んだから。”
浮ついた心には、十分な破壊力だった。
私の忘れたいつかのワンシーンをエリーは覚えていて。それを再現しようとしただけのこと。
ただそれだけのことが、一瞬で私を満たした。
『そうだったっけ。』
“忘れたのか。笑”
『嬉しい。』
“よかった。”
『私も福岡に行きたい。レオン可愛い。』
“可愛いよ。”
『会いたい。』
一瞬、レスが浮かぶまでに空いた間で。
“会わせたいよ。”
エリーの緩やかな反応で。
ザラついた感情の中で、確かな何かに手が触れた。
「あ、これ私たちが貰ったのとちがーう!」
戻ったデスクで、開けた小箱を隣から覗き込む後輩の声が弾んだ。
愛らしい、小さな鈴の形をした最中の皮が並ぶ。別詰めで添えられた餡は、見るからに滑らかな舌触りを予想させた。
「いーなぁ、藤澤さんだけ。江里さんと本当に仲良しですね。」
羨んだ響きに、鼓動が更に一音上がる。ひとつください、に思わず頷いてしまって。
“会いたい”
さっきのあの一言、私はレオンという子犬を思ってたわけじゃなくて。
はっきり、エリーを思い浮かべていた。