ゆっくりと言葉を選ぶ柊介の肩越しに、窓を叩く大きな雨粒が見えた。
「入社した頃から、いつかドイツにって思ってた。車と製薬がやりたかったし、漠然と憧れてたんだ。
妻帯者じゃないと難しいって聞いてた。だけどアピールは必要だと思ってたから、希望としては出してた。まぁ、他のラインと並べてそのうちの一つ、って感じでだったんだけど・・・
そしたら一昨年、欠員が出たからどうだっていう話を貰った。」
『なんで?なんで断ったの?』
覚えてる。
いつかデートで立ち寄った本屋さんで。難しそうな自動車工学の本を手にした、柊介の横顔を。
「十和子に仕事を辞めさせたくなかった。」
『あたし?』
「あの頃十和子は秘書課に異動したばかりで。大変そうだったけど、楽しそうだったんだよ。」
一昨年。
そうだ、私は7月に今の秘書課に期中異動して。慣れないことばかりでキツかったけど、新しい環境はおもしろくて。
『・・・べ、別に私は関係なくない?
私は・・・一旦置いて、普通に柊介だけ・・・先に、行くとか。』
“十和子に仕事を辞めさせたくなかった”
サラリと言われた一言が意味するものが、やけに甘く疼き出す。
気づきたくなくて、だけど無視もできなくて、微妙な言い回しで返してしまった。
「俺が無理だと思ったんだ。」
息を飲む。静かだけど強い口調に、込められた覚悟が香る。
「俺が、十和子と離れるのは無理だと思ったんだ。」
胸の中で、何かがコトリと落ちた気がした。
適当な相槌が出て来ない。
ベッドに横たわってるせいで、同じ目線に揺れる前髪が。
俯向く柊介の存在が、なぜかとても小さく見えて。
「・・・ダサいだろ。あの頃、俺は十和にゾッコンでね。笑」
『・・・あの頃って、』
今は違うの?と軽く続けそうになって飲み込んだ。
「たとえ短期間でも、離れられないと思ったんだ。」
熱く濡れた瞳に、その答えは浮かんでたから。
『・・・そ、そんなことで断っちゃったの?
言ってくれれば良かったじゃない、そしたら私だって_________』
「ついて来てくれてた?」
行ってたよ、何処にだって。
柊介が全てだった。柊介よりもかっこいい男なんていないって、本気で信じてたし自慢だった。
「俺が離れたくないから、今すぐ仕事を辞めて一緒に来いなんて言う。
十和子を無視して自分を優先するダサい俺に、あの頃の十和はついて来てくれてた?」
だけど、もしも。
もしも私のこの思いが、柊介にとって負担になっていたなら。
私の思いを裏切らないために、柊介が堪えてきたもの。
柊介が犠牲にしてきたもの。
『・・・もう、チャンスはないの?』
「正直、ドイツに関しては厳しいだろうね。だけど他にもやりたいことはあるし、気にしてないよ。」
『私のために、諦めちゃったの?』