使徒は雨音に隠れて _ 2
部屋の中で聞く雨音が好き。
瞳を閉じて、ただ滴が破れる音に集中していたら、痛みが少しずつ遠くなっていって。
八坂さんを、思い出した。
不思議な人。
冷たかったり、驚くほど熱かったり。
その正体が分からない。だけど、知らなくたっていい気もする。
時々で見せる顔が全て違っても、きっとどれも彼なんだ。
罠みたい。どれか一つに嵌ったら、きっと誰もが彼を好きになる。
あの人はきっと、世界で一番甘美な罠だ。
昨日、帰ってからシャワーを浴びて。
濡れた髪のままローズヒップティーを入れた。立ち上がる湯気を見ていたら、急に心が理解した。
私、柊介と別れよう。
プライドや建前はどうでもよくなっていた。
3年も付き合った彼氏。初めての大人の恋に、執着がなくなったと言えば嘘になるけれど。
このまま微妙な距離を置いていても、何一つ好転なんてしない。
何かある度に私は柊介を責め立てて、大切な思い出まで疑ってしまう。
そんなの悲しい。
思い出の中の私は。
それも柊介の偽りでなかったなら、ちゃんと大切にされていた。
愛されてると思えたし、その感覚は何よりも幸せだった。
確かに傷ついたけれど。
感謝しないといけないことだって、沢山ある。
私は柊介だから、幸せだと思えたんだから。
__________別れる時もちゃんと向き合わなきゃ。
HACCIのフラワーブーケをひと匙、赤い海に落とした。
透明なカーテンが揺らめいて、液体は甘く甘く蕩けていく。
鼻先に近づければ、飲み頃を誘う柔らかな蒸気。
そっと一口含む。喉を真っ直ぐに落ちていく温もりは、凍っていた心の芯も溶かすようだった。
一緒に見たどの夕陽も。
ずっと綺麗なまま覚えていられたらいいな。
向き合えるまでもう少し、時間はかかるかもしれないけれど。
もうめそめそなんてしない。
柊介を愛した過去の私のために、ちゃんと逃げないで向き合うんだ。
伝えなきゃ、柊介に。
今のこの気持ちを、ありのまま全部。
マグカップを手に、出窓から見上げた三日月は。
相変わらずおもちゃのように頼りなくて、切った爪先のようだった。
桜色のジェルネイルに目を落とす。自分の爪を自分で切らなくなってから、どれくらい経つんだろう。
子供の頃は、大人になれば何でもできると思っていた。いつの間にか出来なくなっていくこと。自分の手で捨ててきたもの。
ローズヒップティーの最後の一口は、蜂蜜が溜まってひどく甘かった。
八坂さんの親指の感触が、頬に戻った。