水曜日の憂鬱 _ 7
聞こえる心音が、彼のものなのか自分のものなのか分からない。
こめかみから響いてくるところを見ると、きっとこれは八坂さんのだ。
「これでいい?」
鼻先までシャツにしがみ付いているせいで、香水の香りの中にも柔軟剤みたいな。
清潔な暮らしの匂いがした。
「これで誰にも見られねぇけど。」
当たり前だけど、この人もちゃんと人間なんだ。
ぼんやりする視界の中で、そんなことが浮かんだ。
「……顔見せて。」
そっと肩を起こされて、親指で頬をなぞられる。いつか子供の頃、叱られて泣いた後にされた仕草に似ていて。
私を覗く瞳には素直に心配の色が浮かんでいて。
『…こんな暗いところで見て、顔色なんて分かるんですか?』
擽ったさに悪態を吐けば。
「全然分かんねぇよ。笑」
また溢れたように真正面から微笑まれて。
息が苦しくなった。
「座れば?」
きっと背後の椅子を指してる。
そのわりに、ちっとも視線から離してくれない。両掌だって、頬を柔らかく包んだまま。
『大丈夫です、ちょっとクラってしただけ。』
生理前だもん、貧血気味になるのはよくあること。
「そう。」
また肩を引き寄せられて、彼の胸の中に堕とされた。
あやすように、怒りで震えていた身体を宥めるように、大きな掌が頭をつつむ。
なんだろう。なんでこの人、今日はこんなに優しいんだろう。
これまでの二回と全然違うんだけど。
重なる鼓動。八坂さんのリズムに引っ張られて、私のものまで大人しくなっていく。
彼に体重を預けたまま、深く息を吸ってゆっくりと吐く。
背中にしっかり回された腕の感触が無性に安心する。
暴れていた胸が落ち着いて、曇っていた頭がだんだんと晴れていく。
『八坂さん。』
「…うん?」
囁くような返事が優しくて。際限なく、甘えは溶けていく。
『結婚したいって思ったことありますか?』
「なに、急に。」
『いいから。あります?』
「…あるよ。」
柊介の笑顔が浮かんだ。モノクロで、写真を切り取ったように。
他人事のように遠く、遠く。
『その時、なんで結婚したいと思ったんですか?』
男の人がみんな、打算的だったらいいのに。
そしたらきっと、柊介を許せるのに。
「分かんねぇよ、もうそんなこと。」
なんで?思い出してよ。
そう言おうと思ったら、首筋に沈んだ唇がそっと呟いた。
「今、お前といるのに。」