ルージュ・ココ・スティロ _ 8
TO.牧役員の、CC.藤澤十和子。
報告資料をお送りするので確認をお願いします、という内容と。
福岡営業所のPCから発信したことを示すIPアドレス。
今日は福岡出張なんだ…
エリーの居場所を知った途端、無性にこの距離を遠く感じた。
当の牧役員は、絶賛各部へのヒアリング中。
代わりに一言、返信しておこう。
「全員に履歴付き返信」ボタンを押してから、“確認いたします。お疲れ様でした。”と打ちかけて…思い直す。
CCに入った牧役員の名を消して、末尾に“いつ帰ってくる?”と添えた。
送信ボタンを押して、牧さんの指示に集中しようとしたところで。また赤く光るメールボックス。
即レスは、“金曜。どうした?”の一言。
…何にも言ってないのに、“どうした?”って。
エリーの“どうした?”は、いつもすごい。
一瞬で姿勢をふにゃふにゃにするっていうか。張り詰めていたものが、簡単に解かれるような感触を含んでる。
エリーといると私は、いつも丸腰の子供みたいになってしまう。
金曜かぁ…今日はまだ月曜だから。遠いなぁ、話を聞いて欲しかったけど。
“帰って来たらまた飲みに行こうね。出張、長丁場だけどがんばって!”
さすがに社内メールでお昼の下を入れる気にはなれず、そう返してメールボックスを閉じた。
些細な言葉尻や雰囲気で、相手を察する。
エリーの類稀なる能力の一つだと思う。
柊介にもそういうところがあったけど、察し方の心地良さはエリーの方が上手だったかもしれないな。
だけど、そういう私は柊介に対して察せたことがあったのかな。
柊介が、話したいけど隠したものを。
見せたいけど隠さなければいけなかったものを。
私は察しようとしたことがあったのかな。
“俺が知ってる柊介さんは、基本こういう感じだよ”
感情を剥き出しにした柊介を指した、エリーの言葉が甦った。
あの夜、私の知らない柊介がいた。
だけどエリーはそれを見慣れた様子だった。
今日の姿だってそう。
私の知る柊介は、あんな風に敵意を漏らしたり、何かを逆手にとって自分を引き上げたりはしない。
私が見てきた柊介。
柊介だと思っていた、枠組み。
あの完璧な恋人に対して何かを見落としてきたのなら、それは一体何だったんだろう。
気づけば、会議は終わっていて。
ガタガタと引き立つパイプ椅子の音で、慌てて私も腰を上げた。
赤く光るメールボックスを開いてみると。
海外仕込みの牧役員からエリーへの返信、“excellent!”の一言だった。