#眞子side
『あ。』
「あ。」
同じく、私の姿を認めた彼は。
驚いた表情をスッと真顔に戻して。あろうことか、回れ右をして。
『ちょっ・・・!廣井さん!待ってよ、なんで逃げるの!』
思わず、並んでいたバスの列を飛び出して追いかけてしまう。
「・・・おお!須藤!お疲れ様!」
『お疲れ様じゃねーよ、今気づかないフリしようとしたよね?!』
廣井さんは目立つ。
小柄だけれど、遠くから見ても雑踏の中にいても。
昔から、私はすぐ廣井さんを見つけられる。
「え?!」
『・・・もういい。ねぇ、これから飲みに行きません?私、今日はすっごく飲みたい気分なんです。』
「残念だ。生憎今日は接待で散々飲んだ後で、もう一滴も身体が受け付けない。」
『この時間なら・・・シリウスでいい?あ、タクシー!』
「人の話を聞けっ!汗」
ちょうど「空車」で向かってくるタクシーを見つけて。
廣井さんの腕を上質なスーツごと取り上げて、走り出した。
薄く舞う、ジョーマローンのレッドローズ。
この人の愛用だと知ってから、私にとってこれはすっかり“廣井さんの匂い”になった。
「あのな、シリウスは“シリウスでいい?”で来るタイプのバーじゃないからな?」
ホテル70階の、スカイラウンジ。
窓際のカウンターで、廣井さんと肩を並べる。
無理やり連行されたことより、怒りのポイントがそこ。
つくづく無害な廣井さんと、アレキサンダー。
目の前に広がる、星空とみまごうほどの夜景。
『幸せー・・・。』
頬づえをついたままため息を吐いたら。
カカオの香りが鼻を抜けた。
「よかったな。」
流石に、説教を無視しすぎた?
そう思って右側を振り向いたら、横顔は目尻にシワを寄せて笑っていて。
ほんっと、無害だなぁ。
廣井さんは、笑うと更に幼く見える。羨ましいくらいの童顔。
だけど最近、この目尻の笑い皺が年季を感じさせるというか。
男っぽさを香らせるというか。
・・・おっさん臭さを予感させるというか。
『飲まないの?なんか飲めばいいのに。』
「いや、本当に散々飲んでるんだよ。少し覚めたら貰うよ。」
十和子とエリーと、私と廣井さん。
廣井さんは、出会った頃から先輩だったし、正確にはもう管理職だし。
こんなフレンドリーに接してはいけない相手なのかもしれないけれど。
『貰うよって言っても、自腹ですよ?自分の分は自分で払ってね?』
「なんでだよ。」
袖のカフスは、ゼニア。
「こんなところで女に金出させられるかよ、いくら須藤でも。」
スーツは、聞いたけれど知らないブランドのオーダーメイドの物だった。
『あっ、管理職にあるまじき発言、』
「だから何でも好きなもの飲んで、元気出せ。」
この人のセンスも話グセも、鼻の頭に皺を寄せる笑い方も。
『・・・ジュースでカッコつけないでよ。』
「ダミー・デイジーと呼んでくれ。」
話す前から、察知してくれるところも。
『無害だなぁ。』