開いたドアの隙間から、伸びて来た手に面食らう。
『・・・藤澤、ですけど。』
「分かってるよ。」
聞こえてきた返答はそれだけ。
あとは、唯一見えた手首から先の手の平が、パタパタと動く。
“ここにUSBを載せろ”と、言わんばかりに。
確かに、早くここを出ないといけないけれど。
急いで会社から飛ばしてきた私を、顔も見せずに追い返すって何事?USBさえ受け取れれば、それでいいってこと?
まぁ、そうなんだろうけど。
『ちゃんと出て来たらどうですか?私、ものすっごく急いで来たんですよ?』
「悪かった、助かったよ。」
口先だけ感、満載の即答。あまりの対応に、ムッとする。
『ちゃんと顔見せて言ってく________』
少しの隙間に手を差し込んで、思いっきり力を込めて逆にグッと開いてやった。
驚いた顔の八坂さんがいるはず____________だった、のに。
一瞬、その人は八坂さんじゃないかと思った。
ストレートにおろした髪。額に落ちた前髪が、いつもの強気な眉を隠す。
隙なく着こなした細身のスーツではなく、緩いホワイトのスウェットの裾から覗くのは素足。
私を見下ろすのは、サディスティックのカケラもない。ただぼんやりと濡れた瞳。
トレードマークの涙黒子が、彼だと証明してはいるけれど。
完全なる、オフモード。
無防備なその姿は、見違えるように幼く見えた。
『八坂・・・さん?どうしたんですか、その格好・・・』
「るせ、」
爆発する、咳き込み。
壁側についた右腕に口元を埋めて。前髪の隙間から覗いた眉は、苦しそうに寄っていた。
そこで、やっと解す。
この人、具合が悪いんだ。
『ちょっと失礼します。』
そのままドアを潜って。八坂さんの止める声も聞かず、脇をすり抜けて部屋に飛び込んだ。
リビングと思わしき部屋に続くドアを開ける。
広がっていたのは________
『やっぱり・・・。』
思ったとおり、だった。
目に入ったのは、広すぎる間取りでも、センスの良いインテリアでもなく。
テーブル周りに散乱した、PCやら資料やらの仕事道具。
床に倒れた栄養ドリンクの瓶に、ソファの背に脱ぎ捨てられたままのスーツ。
『何やってるんですか、八坂さん!』
「もういいから帰れ。」
追ってきた八坂さんを見上げる。
その瞳は、濡れたどころか熱い水膜に覆われている。
これは、高熱がある人の顔。
『具合悪いんですよね?風邪ですか?病院行きました?』
「大丈夫だから。USBだけ置いて帰れ。」
なんで気づかなかったんだろう。
こんなに声が掠れているのに。
『そんなに大事な仕事なんですか?』
「そうでなきゃ、こんなこと頼まない。」