てっきり、役員からの緊急指示に関する電話だと思っていたから。
『え?八坂さん?!』
聞こえてきた声が信じられなくて、二度も同じ言葉を繰り返してしまった。
『びっくりした・・・お疲れさまです。あ、さっきのファイルどうで、』
“もう一つ、頼みがあるんだけど。”
早口で遮られる。
『頼み?』
“あと一つ、欲しいファイルがある。”
『え・・・ごめんなさい、今日はもう失礼しないといけなくて。』
壁際の時計を見上げる。
まずい。お化粧直しの時間は、完全に失われていた。
“今度のは、そんなに時間取らせねぇから。”
『無理です。本当に、今日はもう無理。』
たとえ、決算が遅れると言われても。
私にだって、人生の決算があるんだから。
『こちらに出社出来ないんですか?いまどこにいるんですか?』
柊介に、弱みを見せたくない。
ごめんね、なんて一言も謝りたくない。
だからどうしても、遅刻をしたくなかった。
八坂さんの返答を待たずにまくし立てる。
『自分で出来ないなら、海営の方に頼むとか。この時間なら、まだ誰かいるんじゃないですか?』
意固地になって、この主張を通そうとする。
『とにかく私は今日はもう本当にム、』
次の瞬間。
聞こえてきたのは、破れたように咳き込む音。
突如始まった爆音に、言葉を失って立ち竦む。
『えっ・・・やさか、さん?』
爆音は、一向に弱まらない。
なにこれ?咳してるの?八坂さんが?
音が遠くなった。電話を遠ざけたんじゃないかと思われる。
『もしもし?もしもし?!八坂さん大丈夫ですか?!』
このまま、吐いてしまうのではないかと。
そう思うほどの圧巻。
答えない受話器に向かって、呼びかけを繰り返す。
『八坂さん!落ち着いてください。話はもういいか、』
“助けてよ。”
今にも、また爆発しそうな危うさを匂わせて。
八坂さんの低い声が聞こえた。
荒い息を抑えつけようとしてるから、いつもより低いのだと感じる。
行かなきゃ。
遅刻したくない。柊介を待たせたくなんてない。
なのに、私______________
“頼む、助けてよ。”
デジャブを覚えて、喉の奥が苦しく絞まった。