私は狡い。
初めから期待していた。
エリーのこの声を、初めから期待してきっと電話をかけた。
“藤澤の気持ちを待たずに流そうなんて思ってないから、安心して。大体、流されてどうにかなるような女でもないだろ?”
『そうだよ、私は簡単じゃないもん。』
“じゃあそれでいいじゃん。笑
今日はもう、余計なこと考えなくていいから。”
余計なこと。
自分を下げてそう言ってくれる相変わらずなエリーに、胸が締まる。
『うん・・・ありがと。』
“まぁ、押し倒せばどうにかなるかなとは思ってるけどね。”
『うん・・・ウン?!?!』
あっは、と。
楽しそうに笑う声が聞こえて、耳が燃えた。
押し倒す、の一言で。
首筋がエリーの甘噛みを思い出した。
『ならっ、ならないよっ?!』
“はいはい。笑”
はいはい?!汗
急にきたぞんざいな扱いに、ますます焦る。
今までのエリーなら、こんな口ぶりしなかった。
週末で、明らかに近づいた二人の距離を感じさせて。
高鳴りかける胸に、ますます焦る。
必死の抵抗も、電話口のエリーには届かないようで。
そのあとは笑い声の向こうで短い相槌を打って、電話は切れた。
“おやすみ”という、温かい言葉を残して。
たった数分の会話だったのに、私の心はすっかり落ち着いていた。
さっきまで、悲しみの中で見失いかけていた心が。
八坂さんに労われて、エリーに揶揄われて。
いつの間にかちゃんと手元に戻って来ていた。
妙な気分。さっきまで、あんなに暗く重たく落ち込んでいたのに。
だけどこの気分は、悲しみを捨てたんじゃなくて。
地に足をつけて、しっかり悲しみを抱きとめられるような。
窓の外、夜空を流れてついて来る、大きな月を見上げる。
目を閉じて、柊介を思った。
寅次さんを、思った。
この別れを受け止めよう。
出会いに感謝して、いつかまたきっと会えることを楽しみにして。
柊介の悲しみを受け止めよう。
恋愛であるかどうかは、今は別にして。
人として柊介を支えよう。
翌日の明け方、寅次さんは亡くなった。
それを告げる柊介のメールには短く、“十和子、ありがとう。”の言葉。
私はもう泣かなかった。
橙から赤に燃える東の空に手を合わせて。
寅次さんが早苗さんを早く見つけられるよう、祈った。