手に負えない、なんていうから。
どれだけ我を失って取り乱してるんだろうと覚悟したのに。
「十和ちゃん。来てくれたんだ。」
無機質な灰色の廊下で佇む明日香ちゃんは、柊介よりもずっと落ち着いて見えた。
そっとお腹を盗み見る。柊介の言う通り、少しふっくらしたそこに。
触れなくても、温かい生命を感じた。
『久しぶりだね。ごめんね、ご無沙汰してて。』
「ううん、私こそ。会えて嬉しい。」
柊介の妹、明日香ちゃんに会うのは一年ぶり。
その間に、明日香ちゃんは妊娠していて。私と柊介は、上手くいかなくなっていた。
柊「明日香、待合室に行くよう言ってたろう。」
明「大丈夫。ここにいないと、お父さんの変化に気付けない。」
柊「ちゃんと呼ぶから。ここは冷えるから、待合室で少し休んだ方がいい。」
もう返事をせず、毅然と前を見つめる。
その視線の先には、ガラスの向こう、沢山のチューブに繋がれた寅次さんがいた。
柊介を見上げる。
眉を寄せて、唇をへの字に曲げて。心配そうな視線の先は、寅次さんではなく頑固な明日香ちゃんだった。
頑固なところは、親子三人そっくりだ。
鞄から、サルティのストールを取り出して明日香ちゃんの肩にかけた。
明「・・・!ありがと・・・。」
『明日香ちゃん、ここ寒いね。どこか温かい飲み物が買えるところはある?』
明「お兄ちゃん、十和ちゃんに、」
『あとお手洗いの場所も教えて欲しいな。柊介、ここはお願いできる?』
目を丸くした柊介は、慌てて二、三度頷くと。私の意図に気づいて、目を柔らかく細めた。
じゃあ、と言いながら。それでも後ろ髪を引かれる様子の明日香ちゃんに、柊介がダメ押しをする。
柊「俺にもコーヒー買って来て。」
明「こんなにいらないよ?」
柊介が明日香ちゃんに握らせたのは五千円札。
柊「十和子にも何か買ってやって。お釣りはお前にやるよ。」
肩から落ちかけたストールを、ソッと掛け直す。そんな丁寧な二本の腕の中から、柊介を真っ直ぐ見上げていた明日香ちゃんは。
明「ほんと?やったー。」
やっと、小さな八重歯を見せて笑った。
「幾つになっても、お兄ちゃんは私を子供扱いする。」
いつか、不貞腐れた表情でもどこか嬉しそうに話してた明日香ちゃんを思い出した。
暖房の効いた待合室には、誰もいなかった。
明日香ちゃんを黒いソファに座らせて、自販機でホットの緑茶とミルクティーを買った。
『はい、柊介からのお小遣い。』
「あっは、ありがとー。笑」
明日香ちゃんが、腰をズラしては顔をしかめるのに気がつく。
『腰、痛い?大丈夫?』
「うん・・・ずっと立ってたからかも。妊娠してから、張るんだよね。」
一瞬、迷ったけれど。
思い切って、明日香ちゃんの肩をこちら側に引き倒す。膝枕の体勢。
「ちょっ、十和ちゃん?!」
『いいからいいから〜♡』
土曜日から一睡もさせていないと、柊介は辛そうに零した。
そんなの、柊介だって一緒だろうに。
『私は妊娠した事がないから分からないけど、きっと赤ちゃんは疲れてるよ?
少しは休んであげないと。』
「けどっ・・・」
『寅次さんだって、きっとそう言う。
今は柊介が見てるから大丈夫だよ。』