まるで小堺課長は、大草原で沢山の獲物の中から、何故か自分を選ばれてしまった可哀想なタヌキのようだった。


小「きよみやくんっ・・・!」


明らかに裏返る、ふにゃふにゃの声。
狼狽が目に見える。


柊「こんな格好で失礼します。」


鋭い視線でタヌキを射抜くハンター。柊介に前に立たれると、小堺課長はますます小さく丸く見えた。


小「いやいや!大丈夫なの?」

柊「ご心配をおかけして申し訳ありません。」


何しに来たの・・・
何と無く、頭を下げてPCの陰に隠れた。


柊「予断を許さない状況ではありますが、まぁ、何とか。」


この角度から見ると。
柊介の横顔に浮かぶ疲労に気付いた。顔色が悪い。目を凝らせば、うっすら鼻下に滲む無精髭。

珍しい。
柊介があんな顔で人前に出るなんて。

まして、ここはオフィスだし。




ていうか、予断を許さない状況って、何?




小「そうか・・・。此方の事は気にしないでいいんだよ。引き継ぎも課内でされているだろう?」

柊「小堺さんにお願いがあって来ました。」


引き継ぎ?課内で??
なに、柊介、今日休んでるの??


柊「藤澤さんを、」


フロア中の視線が、一挙に私に動いた音が聞こえた。

________って、あれ?あたし??
今、藤澤って言った?





柊「藤澤さんを、これからお借りできませんか。」





大きく跳ねた両膝が、思いっきりデスクの引き出しにクラッシュしたのと。
隣の先輩が恍惚の表情で背もたれに撃沈したのは、ほぼ同時だった。


あたし?!あたしを貸せって言った?!
貸さない貸さない、何言ってるの?!?!

痛みが駆け巡る両膝を抱えながら、必死の形相で小堺課長に首を振る。


なのにタヌキは、私を一瞥もせずに力強く頷く。


小「勿論。連れて行きなさい。」


瀕死のシチュエーションから、一転。何故か生気が漲る熱い瞳。

勿論じゃないし!涙
私にだって仕事があるし、大体貸すって何?!





「午後の仕事、何が残ってる?もう帰っていいわよ。」


隣から耳打ちしてくる先輩の、鼻息荒い声に慌てる。


『無理ですっ。汗
役員会議の片付けもあるし、明日からの牧さんの出張の件で、大阪営業所と打ち合わせもあるし、』

「それ全部私が貰うわ。ただ事じゃなさそうだし、今日は帰った方がイイって!」


そう言いながら、アイラインで丁寧に縁取った瞳をキラキラ輝かせる。
だめだ、完全に柊介が婚約者である私を掻っさらいに来た図式になってる!



『そんな事言われてもっ・・・』


コソコソ頭を屈めているけれど、頭の上あたりに痛いほどの視線を感じる。
ひとまず、この窮地を切り抜ける策を考えなくちゃ。

いつの間にかハンターの標的は、タヌキから私へ。
冗談じゃない、なんで私が________





「十和子。」

『ひっ!』



両膝を、二回目のクラッシュ。
涙目で痛みを抱えながら、いつの間に忍び寄っていたのか、声の主を________


頭上のハンターを、恐る恐る見上げる。





柊「5分で出れるよう、用意して。」



射抜かれた瞬間、何も考えられなくなった。


何日かぶりに、柊介の顔を見たからじゃなくて。
久しぶりに聞くその声が、相変わらず身体を骨抜きにしたからじゃなくて。





目の下にはっきりと浮かんだクマに、血色の冷めた唇。
無造作、というよりは乱れ落ちた前髪。





予想よりずっと、ただ事じゃない柊介がそこにいたから。