なんで?
思わず思いが声に出て、慌てて指先を動かした。
『鰻?なんでですか?』
“ご褒美。”
ご、ごっほ?!
また思わず飛び出た声に、指先に力を込める。
『ご褒美なんていりません!私は犬ですか!』
“明日の昼、海営まで降りて来い。”
なんて言い種?ムカつく!舐めてる!
お礼のつもりなら、もっと言い方があるでしょうに!怒
『行きません。ご褒美いりませぬ』
怒りのあまり、滑稽な誤字になってしまった。
“なんで?”
『生憎明日の昼は、社長とのランチミーティングがございます。』
思い切り叩きつける、送信ボタン。
撃退してやった。上がらなくなった新着通知に、ドヤ顔で鼻息を吐いて。
エリーに発信しようと受話器に手を伸ばしたところで、やっと上がったポップアップに直ちに噛み付く________
はず、だったのに。
“じゃあ、夜。19:30に迎えに行くよ。”
私の戦意は、見事に撃ち抜かれた。
“昼”から、“夜”。
“降りて来い”から、“迎えに行くよ”。
なに、この。
目の回るような、飴と鞭の奥義は。
甘ったるい敗北感がじわじわ広がる。
・・・明日の夜。何も予定、なかったよね?
いそいそ、ティファニーのスケジュール帳を開いて。
ネイルの予約は明後日になってる事を確認して、顔を上げたところで。
目の前を、黒い影が横切った。
一瞬の違和感が。
「藤澤さんっ・・・!」
隣から先輩に肩を叩かれる時には、既に確信に変わる。
秘書課のフロアを突っ切って、小堺課長のデスクの前に辿り着く。
オフィスに似つかわしくない、尾の長いブラックのトレンチコート。裾から見えるインディゴブルーのデニム。
明らかに私服。
足早に空気を切られたせいで、その香りが薄く舞う。
今日、月曜日だよね?休日じゃないよね??
馬鹿みたいに頭が混乱する。
なんでここに、あんな姿で________
凍りつくフロアで、一身に四方から視線を浴びて。
絶句する小堺社長に、深々と頭を下げる。
その横顔は
柊介、だった。