遅刻した。
合計40個のおにぎりを詰めた大きなタッパーを、紙袋に入れて持って来たのが間違いだった。その重さに耐えきれずに、通学途中で持ち手が限界を訴えて無惨に千切れてしまったのだ。
しょうがないので両手で抱えるようにして運んだけれど、あまり安定しなくて足下はふらついた。仕込みで出発が遅れた事もあって、校門をくぐる頃には朝のホームルームが始まる時間になっていた。もう朝に渡すのは無理だ。
遅れて教室に入って来た私が持つ紙袋に、クラス全員分の視線が集中するのが分かった。今日がバレンタインデーだと分かっているから、みんなその中身が何であるのか想像がついているようだった。具体的な部分は別にして。
「すみません、遅れました!」
注目された恥ずかしさに思わず顔が赤くなる。袋を抱えたまま席に向かいながら、この前の席替えでなんで入り口から一番遠い席なんて引き当てたんだろうと本気で後悔した。
「ちょっと、春野さん。それ」
担任の言葉に、足が止まる。
やばい。これは、いらいらしてるときの声だ。
三十路にさしかかっても未だに恋人の陰も見えない来栖先生は、ときに些細な事が癇に障るみたいだ。今月の頭にも、教室で従姉妹の結婚式の話をしたクラスメイトがマーク模試のケアレスミスをくどくどと責め立てられていて、可哀想だった。
「そんなものを用意していて遅刻するだなんて、認められません。世間がお祭り騒ぎだからといって、学業を疎かにしてまで浮かれる道理はないでしょう」
「すみません・・・」
「春野さん。あなた、こんな馬鹿げた事で人の信頼を失ってもいいの?優先順位も正しくつけられないんじゃ、周りの人の迷惑になるのよ」
まるでこれが迷惑そのものであるかのように、先生は私の紙袋に鋭い眼光を送った。咄嗟に大切なおにぎりが入ったそれを守るようにぎゅっと抱きしめたけれど、先生は言い放った。
「それは、放課後まで没収です。帰りのホームルームが終わったら職員室まで取りに来なさい」
その宣告に息を飲んだ。
そ、そんな。
目の前が真っ白になる心地がする。
放課後になってから取りに行くんじゃ、どう考えても間に合わない。
青春が憎いからって、意地悪な話だ。
「でも」
口答えをしようとして、私は吉野君の視線に気づいた。
教卓の側という拷問のような席に姿勢よく座っている吉野君が、今日も素敵だなあと思う間もなく、私は口をつぐんでいた。
吉野君は、その唇の端と眉の形を歪めた、いかにも面倒そうな顔をしていたのだ。
私のせいで先生の耳障りな説教に付き合わされることに、不満を感じているのは明らかだった。
周りの人の迷惑と言った先生の言葉が急に現実味を帯びて、いつもならその表情にすらきゅんとくる私も、ストンと気持ちが沈んだ。声が出ない。
思わず俯いた私に向かって、早く寄越せとばかりに先生が手を出す。
悔しさと恥ずかしさとおにぎりの重さで、腕はぷるぷると震えていた。
ゆっくりとそれを手渡すと同時に、先生の手が予想外の重力に負けて勢い良く沈むのが視界の端に見えた。