失われた愛。
まだ朝の7時前だというのに駅のホームは人で溢れかえっていた。
今日という日が始まったばかりなのに
その人々はまるで「時間がない」と言うように慌ただしそうにしていた。
階段をかけ降りてゆく者。
急ぎ足で改札を抜けてゆく者。
そんな人達の波に逆らうかのように
あたしは電車に乗り込んだ。
車内には黒のスーツや紺色の制服に身を包んだ中年男性や、学生達がほとんどを占めていた。
みんなお世辞にも明るい顔と言えないような表情でただ電車が発車されるのを待っていた。
お葬式かと思わせるようなその空間に
あたしが着ている真っ赤なコートはあまりにも悪目立ちをしてしまい何故だか自分でも場違いな気がしてしまった。
幸いにも発車までまだ少し時間があるようで
所々席が空いてたのであたしはそそくさと端の席へと腰を下ろす。
お酒の抜けきらない重い体を座席に預け
ようやく安堵の息を漏らす。
「扉が締まります、ご注意ください」
車内にアナウンスが流れたかと思うと
扉はゆっくりと閉じられ電車は走り出した。
丸一日寝ずに活動していた体はお酒が入っている事も手伝ってかなりの眠気を帯びていた。
市内から地元へ帰るには40分程電車に揺られなければいけないので、その少しの間眠りにつこうと瞼を閉じる。
「お出口は左側です。ご注意下さい」
もうあれからどの位の時間が経っただろうか。
次から次へと駅に到着していく。
目を閉じたのは良いがなかなか眠れずにいた。
そんな中、昨日の出来事がふと明細に頭の中に浮かぶ。
夜中の12時。
普通ならば皆が寝静まっている時間だけれど、
この街は違う。
女の子の呼び込みをするホストのお兄さんや
ビールを片手にご機嫌な様子のサラリーマン。
そして「今からが自分達の時間だ」と言わんばかりにはしゃぐ若者たち。
そんな人々を尻目に、あたしはある場所へと向かう。
雑居ビルや居酒屋等が立ち並ぶこの場所はネオンサインに照らされてキラキラと光り輝いていた。
久々にこの街へとやって来たあたしは胸が高鳴りご機嫌にヒールをカツカツと鳴らす。
そして辿り着いたのは、他とは何ら変わりのないとある雑居ビル。
ビルの中へ入るとすぐにエレベーターがあり、他には自動販売機等があるだけで1階には部屋やお店などは無いようだった。
すぐさまエレベーターに乗り込み、7階のボタンを押すと扉はゆっくりと閉じられ2階…3階…と順調に上昇してゆく。
そして7階のランプが光ると扉は自動的に開かれ同時に爆音で流れる音楽とDJと思われる男性の声が聞こえてくる。
あたしはエレベーターを降りると音のする方へ吸い込まれるかのように、薄暗い通路を歩き出す。
平日という事もあって、中にはそれほどの人がいないようだけれどホールが狭いせいか歩くのにも一苦労する程だった。
人混みをかき分けてカウンターに辿りつくと適当にお酒を頼み辺りを見回す。
中心で踊り狂う者やカウンターでお酒を楽しむ者、端の方で女の子を引っ掛けている者など様々だった。
バーテンダーからお酒を受け取り早速頂こうとした時、スッと1人の女性が隣にやって来たかと思うとあたしと同じお酒を注文し始めた。
長く美しい黒髪。
細く長身なその身体に黒のワンピースがよく似合っている。
「圭、久しぶり」
彼女はお酒を受け取ると、あたしの耳元で嬉しそうにそう言った。
「直美…久しぶりね」
あたしもそう返すと2人で乾杯し
お酒を流し込んだ。
直美はあたしの幼馴染みであり、姉妹のような存在だった。
昔は毎日のように遊んでいたのだけれど
2人して高校を1年で中退し、社会に出てからは予定が合わず自然と会う機会が減っていった。
高校を辞めてからの直美は仕事に追われ
かなり多忙な毎日を送っているようだった。
あたしは社会に出るのと同時に家を出たのだが
当時付き合っていた彼氏とすぐに同棲を始め
そして1年後にその彼と結婚をした。
けれどちょうど3ヶ月前、あたしの結婚生活は
たったの2ヶ月足らずで幕を閉じた。
18歳にしてあたしはバツイチとなったのだ。
離婚してからも何かと忙しく気を病んでいたあたしだけれど、最近になりようやく落ち着きを取り戻しこうして久しぶりに直美と会うことになったのだ。
「遅くなってごめんね。
仕事が長引いちゃって…」
あたしがそう言うと直美は聞こえているのか
聞こえていないのかわからないけれど
ニコリと笑ったのでそれ以上は何も言わなかった
数ヶ月ぶりの直美との再会。
話したい事や聞きたい事が沢山あるのだけれど
クラブ内で話すのは一苦労なので2人共あまり多くは口を開かなかった。
本来なら久々の再会となれば2人でゆっくりといろんな話しに花を咲かせる方が良いのかもしれない。
けれど直美は「クラブへ行こう」と提案したのだ。
何故クラブを選んだのかは定かではないけれど
離婚してからというもの仲間内で1番『ぶっ飛んでいる』と言われていたあたしが大人しくしているものだから直美からすればつまらないのだろう。
だから昔を思い出させる為に
昔のあたしに戻す為に
直美はここを選んだのだろうとあたしは勝手に解釈していた。
先程頼んだお酒が無くなりかけた頃、
直美はホールの中心へあたしを引っ張り出した。
流れているの2人のお気に入りの曲だ。
すると直美はあたしを挑発するかのように踊り始めた。
あたしも負けじとステップを踏もうとしたが
高いヒールを履いているので足がもつれ、
フラついてしまう。
そんなあたしの様子を見て直美は大笑いし
そのせいであたしの負けず嫌いな性格に更に火をつける。
それと同時に昔の自分が蘇って来る気がした。
・・・・・・・・・・
突然、圭から「久しぶりに遊びに行こう」と連絡が来たのには驚いた。
お互い高校を中退してからは何かと忙しく、
昔のように毎日遊ぶ事は無くなった。
けれど、それでも毎週末は必ずと言っていいほど顔を合わせていた。
しかし、圭が同棲を始めた頃からそれすらもめっきりとなくなってしまった。
正直、私と一緒にフラフラと遊び回り
男関係にもルーズだった圭が同棲すると言い出した時は心底驚いた。
けれど圭は同棲や結婚などに強い憧れを持っていた事を私は知っていたから、陰ながら応援していた。
だから私も無理に彼女を誘う事は無くなり、
その代わりに頻繁に連絡を取り合った。
『同棲は思ってたよりも大変』
いつもそう漏らしていた圭だけれども、
大変ながらも幸せそうな圭を羨ましくも少し寂しく思った。
そして、その気持ちは『結婚するの』という
圭からの連絡でより一層強まった。
今も変わらずフラフラとしている私とは裏腹に
圭は1人、落ち着き始め家庭まで持ってしまったのだ。
なんだか私一人、置いてけぼりをくらった気がした。
けれど彼女から結婚の報告を受けてからわずか2ヶ月で今度は『離婚する』という報告受ける事となった。
圭の周りは『2ヵ月で離婚なんて…』と漏らしていたようだが、私は離婚に大賛成だった。
圭から頻繁に送られ来ていた旦那の愚痴が書かれたメール。
その内容はあまりにも酷いものだった。
圭の旦那は喧嘩をする度、彼女に罵声を浴びせ
更には暴力までも振るう言わばDV男だった。
更にギャンブル依存症な上に、かなり束縛の激しい人だと聞いていた。
あまりの束縛の激しさに圭は仕事を辞めさせられてしまい、旦那さんの給料だけでの生活を強いられた。
けれど旦那さんが持って帰ってくるお給料は10万弱。
その10万円だけで生活をしていくのはとてもじゃないけれど無理に決まっている。
だから圭は毎月のように自分の貯金を崩し、
生活の足しにしていたそうだ。
しかし後から分かった話しなのだけれど、
旦那さんは圭に給料を渡す前にかなりの額をピンハネしていたらしかった。
給料明細すら1度も貰ったことのなかった圭は
「あたしの詰が甘かった」と悲しそうに笑っていた。
そんな生活を送っている彼女の事が心配でならなかったけれど、私に出来る事はただ話を聞く事ぐらいしかなかった。
だから離婚の報告を受けた時、正直私はかなり安心したがそれもつかの間だった。
彼女達の離婚が成立してすぐに1度圭と会ったのだがその頃の彼女は昔の面影も無いほどに痩せ細り疲れ切った顔をしていた。
そして、それからも圭とは今まで通り連絡を取ってはいたのだけれど今日まで1度も会うことはなかった。
離婚した後も何かと忙しそうな圭を気遣って
私はなかなか自分からも誘えずにいたのだ。
だから、こうして圭の方から誘ってくれた事がすごく嬉しかった。