残された八重と俊介は、互いの顔を見てつぶやいた。
「なんだ? あいつ」
「さあ。何か今日変なの」
「あー……なんか、女ってめんどくせーな」
俊介は腕を組んでため息をつく。地声が大きい俊介のつぶやきは、ふたりの会話が気になって教室を出たところで立ち止まっていた明日美の耳にも届いた。
(『めんどくせー』って。私のことだ)
話にかけてきた相手の顔さえ見れずに逃げ出したのだ。訳が分からないだろう。確かに面倒くさい存在以外の何物でもない。
(私が三笠くんと話せるはずなんかないのに、調子になんか乗るから)
嫌われるくらいなら、最初から話したりしない方がよかった。
そう思った途端に、頭に俊介の姿が浮かんでくる。楽しそうに、アニメの話をした。明日美の小さな声も聞き洩らさず、いつもちゃんと返事をしてくれた。
生まれて初めて、男の子ともっと一緒にいたいと思った。もう頭の中は俊介でいっぱいだ。自分はこんなに“面倒くさい女”なのに。
「う、……うー」
明日美は、せり上がってくる涙を止めようと、トイレにこもって必死に深呼吸を繰り返す。
(私に恋なんて無理。こんなに苦しいの、耐えられない。シャツも……やっぱり作れないって言って返そう)
後ろむきな思考に落ち着いたところで、個室の外側から八重の声がする。
「明日美いるの?」
「い、いる。今出るから」
慌てて顔をぬぐって個室から出た。八重が怒ったような険しい表情で立っている。いつも笑っている八重のその顔は明日美を萎縮させるには十分だった。