私の願いは一つだけ
どうか、わたしに構わないで

いつものように何事もなく一日が終わった。
波風を立てることもなく、淡々と一日は過ぎ、一週間が過ぎる。
そうして過ごした日々はもう何年になるだろう。

「やっと週末ね」

職場の工場の正門を出て、空を見上げる。
深いため息と共に、安息感も訪れる。
夕方でもまだ明るい。
昼に見た入道雲はどこに行ったのだろうか。暑さの苦手な私は、会社の寒いくらいにクーラーの効いた中にいて幸せだ。
だが、帰るころになると、体が冷え切っていて、外のぬるま湯のようなムッとした空気が丁度良く感じた。
計画など何もない。自分だけを信じて生きてきた年月。信じる者は自分だけ、そして、何より怖い物も自分。
人は信じない、とくに親はもっと信用しない。
私には厄病神が憑りついている。
「さて、右か、左か、真っ直ぐか、どっちに行こうかな」

アパートに帰るなら、工場を左に曲がればいい。でも一週間の仕事終わりの金曜日は好き勝手、気の向くままに帰る。仕事のことを考えず、好きな時間に寝られるし目覚まし時計だってセットしなくていい。こんなに素敵なことがあるだろうか。

「お疲れさまぁ」
「あ、お疲れ様でした」

こんなところで突っ立っていれば誰かしらに会うに決まっている。挨拶も面倒だ、早くここを立ち去ろう。

「真っ直ぐに行こう」

通勤に使っている自転車に乗り、まっすぐに行くと決めた道を走る。
この街に来てどれくらいたっただろう。日々の流れが全くつかめない。
私は、自分の決めた世界に住んでいる。他人はおろか、親さえもそこには踏み込ませない。
カレンダーを新調する年末に、やっと年が終わることを認識する。
今のアパートは住み心地がいい。
更新の度に引っ越しをしようかと考えるが、費用もばかにならない。
学生の時は大学の近い場所に住んだが、今の住んでいるところは、二回目の引っ越し場所だ。
就職活動をしていた時、会社や職種ではなく住む場所を決めてから、通える範囲の職場を絞った。
海に一度も行ったことがなかった。
私は、好きか嫌いかも分からないけれど、海があるこの場所を選び、アパートを決めた。
海の近くだと、シーズン中に騒がしい、洗濯物が塩臭いなど、色々と大変なこともあるようだった。
それを考慮して、海まではバスで20分ほど離れた土地に住まいを決め、今のアパートにしたのだ。時折、風に乗って海の匂いがする。それがとてもいい。
海から離れているとはいえ、夏のシーズンでは、車の渋滞があり、クラクションの音が賑やかだった。越してきてから一度も海に行っていないが、そのうちに足が向くだろう。私は、以外と、ここが気に入っていた。
アパートを見つける時間がもったいない。そんな時間があるなら、本を読み、気になることを勉強する時間にあてた方が、よっぽどいい。
工場に勤めるのも、仕事を見つけやすく、人とのかかわりを持たずに仕事ができるからだ。
ただひたすら、自分の与えられたレーンにいればいい。
私は道端で死んでいても気に留められないくらいの存在でいたい。それが願いだ。
「ラーメンが食べたいなあ」

蒸し暑い夏、冷やし中華がぴったりだが、冷えた体には、熱くこってりした味噌ラーメンがいい。

「あそこにしよう」

商店街に気になる店があった。今時の洒落っ気はなく、ただひたすらラーメン屋という店構えだ。
私は、ラーメン屋をめざして自転車を漕いだ。
「味噌辛ラーメンをお願いします」
「はいよ」

カウンターに座り、ラーメンを注文した。
初めて一人でラーメン屋に入った時は、緊張した。何度も店の前を行き来してやっと入ったのを思い出す。
人は全く気にしない私でも勇気がいった。もう少し女が入りやすいラーメン店が増えて欲しいと思う。
ファミレスやファストフードは難なく入れたが、ラーメン屋はなかなか入れなかった。
立仕事の一日を終え、やっと座る。足がパンパンだ。
ラーメンが出来るまで、ふくらはぎを揉む。
店内を見渡すと、女は私しかおらず、客は全て男だった。客の入りをみてもなかなかの繁盛店の様だ。
いつも持ち歩いている本を忘れた。
手持ち無沙汰で何もすることがない。天井の角を見ると、テレビが設置してあった。頬杖をつき、流れる画面をみた。

「はい、お待ちどうさま」
「あ、はい」

ラーメンは出来上がるのが早い、待っている時間が少なくてすんだ。
カウンターにある箸立てから割りばしを一善とり、心の中で「いただきます」と言う。
スープから飲むと、期待していたこってり感が口の中から食道に流れる。後から来る辛さがたまらない。
好みの味だった。
スープを全部飲み干したいところだが、胃がたぷたぷしてしまうのは頂けない。

「ごちそうさまでした」

カウンター越しに店主に声をかけると、白衣で手を拭きながら、私に向かって近づいた。

「あ、ありがとうございます、850円です」

財布から、千円札をだしてカウンターから支払う。
おつりを貰って、店を出た。

「さて、DVDを借りて、スーパーに寄って、帰えろっと」

週末は出かけたり、家でごろごろしていたりと気分次第だ。友達も必要ない私は、時間を有意義に自分のしたいように過ごすことができる。
本を読むのは好きだ。いつもバッグに入れている。もっぱら図書館を利用するが、人気の本はなかなか順番が回ってこないのが、難点だ。
荷物を増やさないように生活をしているが、どうしても好きなコミックを買ってしまう。新刊で買いたいところだが、財布事情と処分する時の感情を考え、中古本を買っている。
洋服だって、一枚買えば、一枚処分。収納ケースなどは増やせばまた物が増えるという悪循環を生むため、それも買わない。
アパートは女の一人暮らしにしてはとても質素だ。

「あー疲れた」

全ての用事を済ませ、やっと帰路に着く。
自転車に乗り込み、アパートへ向かう。
アパートに着くと、自転車置き場に自分の自転車を置くと、近くから、猫のかすかな鳴き声が聞こえた。瀕死のようなか細い泣き声だった。

「ネコちゃん? そこにいるの?」

アパートは新築じゃないが、大家さんの趣味で、庭がとてもすてきに整備されている。所謂ガーデニングと言うやつだ。その一角に桜の木が植えてある。そこから鳴き声が聞こえる。暗くてよくわからない場所を猫の鳴き声を頼りに、前かがみになって足を進めた。

「あ、いた……どうしたの? 大変!」

見つけた猫を見ると、大きな猫にやられたのか、鳥につつかれたのか、体中から血がでて、目やにもひどく、目も怪我をしているようだった。暗くてよくわからないが、毛も抜けている所がある。

「そこにいるのよ、今すぐに来るから待っててね」

両手に持っている荷物を取り敢えず部屋に持って行かなければいけない。
何故か分からないけれど、身体が震えた。心臓が早く鼓動を打って、血の気が引いていくのが分かった。
鍵を開けて、袋をキッチンに投げると、洗面台からバスタオルを取り、バッグと猫をいれられそうな袋を持って、猫の所に急いだ。

「はあ、はあ、猫ちゃん、今、助けるからね」