「佳苗さんとの結婚やめて。そう言ったら叶えてくれる?叶えてくれるよね?私のお願いだよ?」
爆弾発言だった。
こんなところも母娘そっくりだ。
後にして、俺はそう思った。
しかし、この時は唖然としてそんなこと思う余裕はなかった。
とにかく、水野を落ち着かせようとした。
仁を見つめる水野をこっちに向けさせようと肩を掴むが水野は反応を示さない。
じっと、まっすぐ仁だけを見ている。
自分たちの関係を表している。
俺のほうを見ようともしない、仁だけなんだ。
そんなわかりきったことにショックを受けた次の瞬間、仁も爆弾を落とした。
「小春がそれを望むなら」
仁の水野を見つめる優しい眼差しを見ながら、俺はやっぱり呆気に取られた。
やっぱり殴ってやれば良いのだ、こんな男。
水野を馬鹿にしてる。
そうやって水野のために怒っている自分も確かにいた。
けど、違う感情も。
このまま仁が結婚をやめて、水野の望む通りに付き合う可能性がある。
水野が付き合いたいと言えば、この男は付き合う。
婚約者を捨てて。
水野を宥めすかせるために吐いた発言じゃない。
目を見ればわかる。
それが恐ろしかった。
水野を手に入れられなくなってしまうことが。
仁が水野を手に入れてしまうことが。
水野のために怒っているわけじゃない。
自分のために俺は怒っている。
そのことが、仁を殴ることを躊躇させた。
水野のために怒った振りをして殴ることに。
水野がそれなら今すぐ別れて、そう言ったら。
だが、水野はそうは言わなかった。
ほっとした。
水野は泣き叫んだ。
仁とは結ばれて欲しくない。
だが、こんな風に泣いて欲しかったわけじゃない。
本当は、絶望して欲しかったわけじゃない。
俺は水野の手を引っ張った。
ここにいて、水野が叫んだって、傷つくだけだ。
水野が一番傷つくだけだ。
だけど。
手を見事に振り払われた。
俺に見向きさえしない。
こういうやつだ。
こういうやつを俺は好きになったんだ。
もうこの時には思い知った。
――仁君の壁は厚いわよ。
おばさんはわかっていたんだ。
仁が他の女と結婚しようとも水野は仁を好きでい続けると。
仁の壁を水野は自分で壊すことをしない。
このまま誰も壊さなかったら永遠に思い続ける。
嵐のように水野は階段を駆け上がっていった。
誰も後を追うことはしなかった。