個室に戻ろうとすると、おばさんが、にっこりドアの前で立っていた。
「ね?仁君の壁は厚いでしょ?」
「失礼ですけど、おばさんの娘、かなり最悪ですよ。常軌を逸してる」
おばさんは気にした様子もなく、微笑んだままだった。
「いまさらよ。で、諦めるの?」
「諦めるっていうよりも愛想がつきましたね。あんなのに惚れてたなんて俺も正気の沙汰ではなかったと心底思ってます」
眉間にぐっと力が入った。
「同感。小春にとって仁君は特別。俊君が仁君に取って代わることは絶対にないわ。仁君の代わりなんて存在しない」
おばさんは肩をすくめてみせた。
「ね?だから、私はどう?小春より良い女でしょ?」
留袖姿でくるりと回ってみせた。
ため息を吐く。
「水野と比べたって意味ないでしょう。比べる相手が最悪な女なんですから」
俺はそれだけ言うと、先に部屋に入った。
まだ二人は現れない。
腹が減って、テーブルに噛み付きたいぐらいだ。
ようやく仁がドアを開け、入ってきた。
「すいません。お待たせして」
申し訳なさそうに頭を下げる。
「仁が気にすることじゃない。小春はどうしたんだ?」
自分の娘が気がかりなようだ。
「小春は化粧直ししてます。すぐ来るから飲み物だけでも」
給仕を呼んで、飲み物を注文する。
水野には仁がオレンジジュースを頼んだ。
飲み物が運ばれてきたのと同時に、水野の遅いお出まし。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
ぺこりぺこりと、何度も頭を下げる。
何度頭を下げたところで台無しにした時間が戻ってくることはない。