俺は、ただずっと水野を見ていた。
水野に見惚れていた。
時間にしたら、きっと数秒のことだ。
なのに俺には時間が止まったように長かった。
時間を止めてしまうぐらい、神々しいものだったのだ。
「帰ろう」
はっと我に返り、声の方向に視線を向けると、水野はすでに立ち上がっていた。
「ああ」
放心状態の俺も何とか立ち上がる。
道中、転ばなかったのが不思議なくらい、心ここにあらずだった。
水野をアパートまで送り、部屋に入るのを見届けた。
そして次の瞬間、力が抜け塀に寄りかかる。
どうやって自分のアパートに帰ったのか覚えていない。
徒歩五分の道のりを一体、どれだけの時間をかけて帰ったのか見当もつかない。
この日は飯も食べずに呆け、そして、当然のことながら一睡もできなかった。
呆けて、何が何だかわからない中でも、唇の感触だけが鮮明だった。
仁と佳苗の結婚式当日。
朝っぱらから、雀が鳴いていてうるさい。
朝だから鳴くのか。
どうでもいいがうるさい。
昼過ぎに家を出て、式場に向かう。
水野は、向こうで着替えるとかで早く行くと聞いていたから、俺は一人で電車に乗り込んだ。
一晩経てば、冷静さは取り戻した。
内面の同様は出てなかったのは確かだ。
慌てふためいて、水野の前で格好悪い姿を晒さないで済んだ。
水野の前で犯した失態はキスをしてしまったことぐらいだ。
理性が吹っ飛んだのだ。
暗闇。
静寂。
そんな中で潤んだ瞳を向けられて違う世界に入り込んでしまったような感覚だった。
そうでなければ、あんなことを俺がするはずがない。
でも、あれは本当に失態だったのだろうかと考える。
水野は怒らなかったどころか、俺が今まで見た中で一番の笑みを浮かべた。
女神の微笑みというのは、このことを言うのではないか。
そんな恥ずかしいことを本気で思ってしまうほど美しかった。
とにかく、俺にキスされて嫌がっていなかった。
水野は、何とも思っていない男に口付けを許す女ではない。
最初の目元へのキスは突然で対応できなかったにしても、何度も繰り返し交わした口付けは、どうにでもできたはずだ。
抵抗の意思どころか、目を閉じて応じていた。
これは、俺が好きということで良いんだよな?
今度、好きだと伝えれば、頷いてくれるよな?
今日、帰りに二人で飲みにでも行こうか。
水野もようやく二十歳になったのだ。
あいつは馬鹿真面目に酒を飲んだことがないに違いない。
今日は水野自身は平気だと言うが、複雑な心境には変わりないだろう。
それなら、酒を飲むのも悪くないと思う。
誕生日ついでにおごってやろう。
今日は晴天、結婚式にはふさわしい日だった。