それから、水野はアパートに着くまで俺のほうを見ようともしない。
何で、そんなに赤くなるのか、さっぱりわからん。
「小春ちゃん。また遊びに来るから、それまでお兄ちゃんのことよろしくね」
「任せて。榊田君が女の人に失礼なこと言わないように、目を光らせてるから!」
目を光らせるじゃなくて、ただ制裁に殴ってるだけじゃないか。
水野は俺のフォロー役だと思っているのは明らかだ。
そして、それが水野の勘違いということも俺からしてみれば明らかだ。
女の別れは時間がかかる。
俺は口を挟まなかった。
それが最短で終わる唯一の方法だと知っているから。
明日で、美玖はいなくなり平穏が訪れる。
頼むから、もう親父と喧嘩をしないでくれと切実に思う。
とにかく、疲れたから寝る支度を整え、さっさと布団に潜り込んだ。
「……どうしてかな?本当に不思議」
美玖は暗がりで携帯をいじりながら呟いた。
独り言にしては大き過ぎる。
「小春ちゃんって、絶対お兄ちゃんのこと好きだと思うんだけどな。どうして付き合ってないのかな?」
傍から見てもそう思うか。
「俺も実に不思議だ」
どう考えても、あれは俺のことが好きだと思う。
だけど、振られる。
「やっぱり、お兄ちゃんが手早そうに見えるからじゃない?付き合った途端に押し倒しそう」
「付き合ってたら、何の問題もないだろ」
もう一年半以上片思いしてるんだ。
付き合ってすぐに押し倒したとしても、何の問題もない。
むしろ、良く耐えていると自分を褒めたいくらいだ。
俺の中では。
「やっぱり原因はそれだ。四六時中、お兄ちゃんが引っ付いてたら初恋の君のことも忘れるよね」
「金魚の糞みたいな言い方すんな」
「それが作戦のくせに。一緒にいれば否応なく絆されるし、お兄ちゃんの場合、小春ちゃんにだけ優しいからなおさら、ぐらっとくる。これで好きにならないはずがない」
そう。
結局、近くにいればアプローチする機会はたくさんある。
これまでそれが無意味だったのは、仁がいたからだ。
もう仁は佳苗と結婚し、水野は諦めた。
だからこそ、効果がある。
仁に取って変わって、俺がその座に付くのだ。
「本当に一体、何がいけないんだ」
俺は呟いた。
「だから、手が早そうなところだって」
呆れたように美玖は携帯を放り投げる。
携帯を投げるのは、俺たち兄妹の癖なのだろうか。
暗闇の中でその携帯の画面だけが鈍く輝いていた。