リュックを背負った大型犬が、一瞬にしてハヤブサマークの大型トラックに姿を変える。
確かに、大きくて速くて仕事中だ。でもあれは……
「トラック!?またいつもの動物と出会っちゃった話じゃなくて、生き物ですらなくて、トラック!?!」
「瀬戸さんってば、一体どこから僕の話を聞いてなかったの?動物だなんて最初から一言も言ってないよ」
ほんの少し不機嫌そうにムスッと口を尖らせる水無月くんは、いつものことながら拗ねた顔が完全に子供だ。
そもそも“サブさん”などと言われて真っ先にハヤブサ運送のトラックを連想出来たら、そいつはもう普通じゃない。
それに運転手の話をしているのであればまだしも、水無月くんは完全にトラックそのものの話をしている。
動物好きの水無月くんのことだから、また動物の話だろうと思ったのがそもそもの間違いだった。
生きているものだけではない、幽霊だって、トラックだって、水無月くんはこの世界に存在するものはなんだって好きなのだ。
秀才はやっぱりレベルが違う。
「瀬戸さん、さては最初から僕の話を聞いてなかったな」
拗ねた水無月くんがまたしてもガタガタと机を揺らす。
そのガタガタ音がたとえ教室に響き渡っていたとしても、犯人が水無月くんであるとわかっているクラスメイト達は誰一人として見向きもしない。
「話を聞いてなかったお詫びに、今日の放課後は、サブさん捜すのちゃんと付き合ってね!」
不機嫌な表情のままで当然のことのように言ってのける水無月くんに、流れで頷きそうになって思わず待ったをかける。
「私が水無月くんにお詫びをしなきゃいけない理由が全く見つからないんだけど」
確かに、話の途中でぼんやりしてほとんど聞いていなかったのはよくなかったと思うが、そもそも寝不足になってしまったのは水無月くんにも原因があるわけだし、意味のわからない話で混乱させたのも彼である。
考えてみれば、お詫びをされることはあっても、お詫びをしなければならない理由がない。
水無月くんの反応を待ってしばらく沈黙していると、考え込むような素振りをみせた彼は、突然鞄をがさごそあさって、何やら袋を取り出した。
「きびだんごがないから、代わりにこれをあげるね」
満面の笑顔で意味のわからないことを言い放った水無月くんは、その袋を両手で差し出してくる。
思わず受け取ってしまったそれには、“チョコチップたっぷり!チョコチップパンのようなメロンパン”などとこれまたわけのわからないことが書いてある。
ますます意味がわからずに顔を上げると
「僕からのメロンパンを受け取ってしまった瀬戸さんは、桃太郎ルールによって僕のお供をしなければならないのです!」
水無月くんが大変得意げに言い放った。
「……桃太郎ルールなんて聞いたことないんですけど」
「きびだんごを受け取ったものは、問答無用で桃太郎のお供をしなければならないっていうあのルールだよ?」
「いや、あれはそういう強制連行的な話じゃなくて……」
得意げな水無月くんの言い分と、ズレまくっている桃太郎についての解釈をなんとかしてやろうと試みるも、独自の世界で生きる彼には悲しいほどに通用しない。
「でも約束は約束だからね!瀬戸さん、メロンパン受け取ったでしょ?」
にっこり笑って指差したパンを、慌てて突き返してやろうと思った瞬間、敗北を告げるチャイムが鳴り響いた。
「それじゃあ放課後ね。忘れないでよ!」
素早い動きで自分の席に戻っていく水無月くんを、突き返せなかったメロンパンと共に呆然と見送って、深々とため息をつきながら机に突っ伏す。
またしても、まんまと彼に乗せられてしまった。
「おはよう、瀬戸ちゃん!あれ……水無月くんは?」
この質問は、本日五回目。
「おはよう。水無月くんは、本日風邪でお休みだそうです」
そして、この答えを口にするのも本日五回目。
「水無月くんでも風邪引くんだね」
みんな全く同じように驚いて、全く同じような感想を口にする。
なぜか個人的に水無月くんの欠席理由を報告しに来てくれた担任も、同じように驚いていたし、聞いたときは私も正直驚いた。
「水無月くんも、あれで一応人間だから」
皆勤がかかっていたのに残念だ……と呟いた担任にも同じことを言ったので、この返しは本日で通算六回目。いい加減言い飽きた。
「そっか……確かに、水無月くんってちょっと宇宙人っぽいけど、よく考えたら人間なんだもんね」
今日の今日までクラスメイトの誰からも、同じ人間だと思われていなかった水無月くんはさすがだ。
「でも水無月くんのことだから、きっと明日には元気に登校してくるよ!だから瀬戸ちゃん、元気出しなよ」
そう言ってぽんっと肩を叩いて去っていくクラスメイトを見送り、首を傾げる。
さっきから何度も同じ慰めの言葉をかけられるが、別に私は落ち込んでいないし、水無月くんがいなくて寂しいなんて思ってもいない。
むしろ、ようやく訪れた平和な日常に喜びで心がはち切れそうだ。
それなのに、みんなには元気がないように見えるらしい。
「……水無月くんの理解不能な話を聞かされなくて済む朝はものすごく平和だし、水無月くんに振り回されて終わる放課後は自由に好きなことが出来るからとっても幸せなのに」
この間もまた、ハヤブサ運送のトラックを捜して街中あてもなく歩き回った末に、ファミリーレストランに引っ張り込まれて反省会を始められ、くたくたになって帰宅したあとの宿題地獄。
結局またやりたいことは何一つ出来なかったが、今日ならばずっとお預けをくらっている漫画の新刊だって、溜まりに溜まった録画だって、お昼寝だっておやつだって、好きなことをし放題だ。
今から放課後が楽しみでしょうがないのに……みんなには、落ち込んでいるように見えているのだろうか。
「……謎すぎる」
みんなの目に、おかしなフィルターがかかっているとしか思えない。
ちらりと隣を窺えば、いつもはそこに当たり前のようにある整った顔が今日はない。
瀬戸さん!と名前を呼ぶ声や、屈託のない笑顔、拗ねた子供みたいなむくれ顔を思い浮かべながら、隣の席を見つめる。
いつもは水無月くんにいいように言いくるめられて呆然と聞くチャイムの音を、今日はただぼんやりと聞き流していると、隣の席の持ち主である男子生徒がやって来て、椅子に腰を下ろすなり前の席の男子に向かって笑いながら口を開いた。
「なんか、いつもは水無月が温めといてくれるから、今日は椅子がやけに冷たく感じるわ」
「なんだよそれ。お前言い方が気持ちわりいな」
そのまま始まった談笑を聞くともなしに聞きながら、窓の方に視線を移す。
今頃、水無月くんは……。
水無月くんのいない、平和で幸せなはずの私の一日は、胸にモヤモヤしたものを残したまま始まった。
*
『瀬戸さん聞いて聞いて!この間ミケさんが黄色の首輪をしていてね、僕の知らない内にお嫁に行ったみたいなんだ。僕、花嫁の父の気持ちがよくわかったよ……。だから瀬戸さん、今日の放課後は一緒にミケさんのお祝いをしようね!』
『お嫁に行ったって……それただ野良が拾われて家猫になっただけなんじゃ』
『ねー、瀬戸さん!駅前にいわくつきの銅像があるの知ってた?エリーとマリーっていう女の子の像なんだけど、そのいわくが本当かどうか、今日の放課後検証しに行こう!』
『ええー、また?昨日も似たようないわくつきの銅像見に行ったばっかりなのに……』
『おはよう、瀬戸さん!昨日の帰りにすごく良いことあったんだよ、聞きたい?』
『……出来ることならホームルームが始まるまで寝かせて欲しいデス』
『ええー放課後に補習?なんで!瀬戸さんの放課後に、僕と一緒にUFO探しする以外の予定なんてないはずでしょ』
『UFO探すより先に、次のテストで赤点回避する方法を探すことになりました。先生と一緒に』
『はい。もう約束しちゃったからね、忘れちゃダメだよ!』
水無月くんに振り回されてきたこれまでの日々を、なんとなしにぼんやりと思い出していたら――
「おーい、瀬戸ちゃん。おにぎりの鮭がぽろぽろ零れてるぞー」
友人の声にハッとして視線を落とすと、スカートの上に盛大に鮭フレークが散らばっていた。
「ああ……!」
慌ててスカートの鮭フレークを拾い集めると、ティッシュを広げてそれで包み込む。
思い思いに机にお弁当やら菓子パンやらを広げて昼食中の友人達は、みんなしてそんな私を意味ありげに見つめてくる。
「やっぱり水無月くんがいないと、調子が出ないんだね。瀬戸は」
断じて違う。
今日一日、私が何かやらかすたびに、全てが水無月くんの不在へと結び付けられるが、それは絶対に違う。
でも何度言っても「はいはい」と適当にあしらわれてちっとも聞き入れてもらえないから、私もいい加減諦めた。
「今頃水無月くんも、ベッドの上で熱に浮かされながら瀬戸ちゃんのこと考えてるかもよー」
語尾にハートマークがついたそのセリフは、明らかに私の反応を見て楽しもうとする魂胆が見え見えだったから、さらっと聞き流しておにぎりを頬張る。
具のなくなったおにぎりは、思っていたよりもずっと味気ない。
**
放課後を告げるチャイムが鳴り響いて、クラスメイト達はすっきりした顔で教室を出て行く。
「また明日ね、瀬戸ちゃん!元気出すんだぞ」
「明日にはきっと水無月くんも来るだろうからさ」
「ばいばーい!一人の帰り道は気を付けないとダメだよー」
好き勝手なことを言いながら去っていく友人達を見送り、深く深く息を吐く。
「瀬戸さ、今日はため息多いよな」
「しょうがないだろ、今日は水無月がいないんだから。なあ?瀬戸」
「なんか水無月がいないと、心なしか教室が静かに感じるよな」
「なるほど、それでか。俺も、今日はなんかいつもと違って静かだなって思ってたんだ」
水無月くんにいつも占領されている隣の席の男子と、その友人達にも慰めるように声をかけられ、言い返すのも面倒くさくて適当に相槌を打っておく。
それぞれに部活や遊びや真っ直ぐ家にと散っていくクラスメイト達を見送っているうちに、気がつくと教室に一人ぼっちになっていた。
「……元気なら有り余ってるし、別に寂しくなんかないし、確かにちょっといつもよりは静かだったかもしれないけど、でもため息だって言うほどたくさんついてないし。それに水無月くんがいない放課後は、いつもより早く帰れるから全然……心配、いらないし」