「グロルさん」



 彼女は名を呼ぶ。



 昔と変わらない、小鳥の鳴くような透き通った声で。



 『呪い』が解かれたその時から何度、思い返したか。



 記憶の片隅に押し込まれていた彼女の記憶が、彼女との思い出が、グロルの心を支配する。



 彼女の声が



 笑顔が



 何度も何度も、頭の中で繰り返される。







 好きで好きで、たまらなくて、



 誰にも触れられたくないとさえ思っていた。



 けれどグロルとリラには身分と言う越えられない壁があって、



 一族の長男として、由緒ある一族との婚姻が決められていたグロルは、一旦リラの元を離れることになった。



 それは両親と話をつけるため。



 自分にはリラがいると、そう伝えるため。



 そのせいで家を追い出される結果になったとしても、それでいい。



 彼はただ、リラと共に生きる未来が欲しかったのだから。





 リラとグロルが最後に会った日、



 たった一つの約束をした。



『どんなに時間がかかったとしても、何があっても、必ず君を迎えに来る』



 待っててほしいなんて理不尽な言葉は言えない。



 けれど、グロルの想いと、強い覚悟を聞いたリラは、離れていく彼を何も言わずに見送った。



 そのおなかに、新しい命――ネロがいることを伝えることなく。






 その直後、グロルは『呪い』を受けた



 自分の意志に反する、醜く歪んだ感情と思考が彼の中に生まれ、支配していく。



 国を乗っ取るためだけに、全てを利用する犯罪者に彼を変えていく。



 好きでもない女と結婚し、



 呪いを受け継がせるための子を作り、



 王家を崩すために綿密な計画を練って、外堀から崩していく。



 数多くの犯罪を行い、闇に手を染め、たくさんの人を殺した。







 『呪い』が解けた今、彼の中にあるのは後悔と罪悪感



 本当なら彼女を想う資格すらない



 それでも、頭の中に浮かぶのは、やっぱり彼女なのだ。



 

 

 その彼女が、今目の前にいる。



 自分の名を呼ぶ。



 クリーム色の柔らかな髪は長く伸び、優しい笑顔はそのままに綺麗に年を取って。



 穢れを知らない、純粋な深緑の瞳が痛いほどにグロルに突き刺さった。