正しい紳士の愛し方




「お疲れ、樹(いつき)ちゃん」


「お疲れ様でしたー」


小林 樹(こばやし いつき)は人懐っこい笑みでペコッと頭を下げた。


イベントスタッフの何名かとホテルの前で別れる。


残ったのは樹と同じ美容室で働く同僚たち。


「……さて、これからどうします?」


樹より少し背の低い可愛い系の里奈(りな)が言う。


「飲みに行っちゃう?イベント打ち上げ的なノリで」


男性スタッフの鈴木君の提案に、みな一同に「賛~成~!」とノリノリだった。



飲み会なんて久しぶり。



バイトから正社員となったといっても、まだまだ美容師としては見習いで。


閉店後はずっと練習ばかりしていた。








「駅裏にイイ感じの飲み屋できたらしいっすよ」


「マジで!じゃあ、会場はそこで決定ってことで!」


「行こ、行こ。外で立ち話とかめっちゃ体冷える」


樹以外の三人で話はどんどん進められていく。


若い女の子にけっこう人気の美容師集団。


黙っていてもそれなりに目立つ。


四人が駅裏の飲み屋にむかって歩き出した時、里奈さんは樹の肩をポンポンと叩いた。


「何?」


樹の問いに、彼女は目をクリクリさせながら「あそこ見て……」と示す。






「めっちゃイケメ~ン。一度でいいから、あんな超イケメンに抱かれてみた~い」


里奈さんの目はしっかりハートマーク。


同業者やモデルなどで“イケメン”と呼ばれる種族はお腹いっぱい見慣れているはず。


そんな彼女が言うイケメンって……。


樹は示される方を見た。


イケメンだという男の顔はよく知った人物。


樹の親友 瀬戸 満(せと みつる)が勤める高津書房の代表取締役専務である高津 大和(たかつ やまと)だった。


三十代という若さで大手出版社の重役にのぼりつめた実績といい、誰もが羨むルックスといい、所謂……非の打ち所がない男。






大和さんっ……!



喉の奥から逆流するかのように名前を呼びそうになった。


葉にする前に口を塞ぐ。


「どうしたの、樹ちゃん?」


「ううん、何も……」


樹はなんでもないように首を緩く左右に振る。


里奈さんの興味は彼に一点集中していた。


それは、彼がホテルの中へ入っていくまで続く。


「あーあ……やっぱイケメンには彼女がつきものよね。アレには適わないわ。顔小っさ、足長っ……てなもんで」


目がハートマークだったわりに、里奈さんの諦めは非常に早い。


イケメンに目を奪われたのも、ただの保養程度だったことが分かる。







だって、本当に彼の事が好きな人間は気が気じゃない。


彼は背景に大輪を咲かせたような美女と二人きりでホテルに入っていった。



あの子誰だろう――…



綺麗な人……。



今すぐ駆けて行って“この人誰?”って問いたい。


多分、ニッコリ笑って“友人”って答えるんだと思う。


「樹ちゃん、大丈夫……?」


里奈さんは樹の顔を覗き込んで心配そうに尋ねた。


樹はハッと我に返り、ニッコリ笑って「平気」と一言答える。







飲み屋に着くと、すぐに宴会が始まった。


酒好きの彼らはけっこうなハイペースでビールやら焼酎やらを飲んでいく。


樹も酒は好きだが、今夜はあまり気持ちよく飲める気分じゃない。


ホテルに入っていく美女と大和の姿が頭の隅をチラついて仕方ない。


「飲んでる?」


「の、飲んでるよ」


「ハイ。乾〜杯!」


里奈さんはほんのり頬を染めて陽気だ。


ビールジョッキと梅酎ハイが入ったグラスがカチャンと合わさる。