家の人が出たら切ろう
逃げ道を作ることでようやく踏み切れたのが、帰宅してかなり時間が経ってからだった。
「はい、桜沢です」
その声を聞いて、思わず切ろうとしてしまう。
しかし、本人が出てきた以上、切るわけにはいかない・・・
「あっ、あの我那覇といいますけど」
「えっ・・・あっ、私です。紗希です」
お互い緊張しているような、どこかぎこちない言葉だった。
それでも、彼女の声を聞いて少しは楽になり、「久し振り」と今度は違和感なく言えた。
彼女もどうやら緊張が解けたようで、くすりと小さく笑った。
「もう、突然だったから、ちょっと驚いちゃった」
「電話は突然かかってくるもんだよ」
「ふふ・・・相変わらずだね」
「・・・とは言いつつも、突然で迷惑じゃなかったかな?」
「ううん、全然そんなことない」
迷惑だったかと聞かれたら、そう答えるのが無難だろう。
よほど嫌であったり、都合が悪くなければ・・・
「むしろ・・・嬉しいって思ってるもん」
「えっ」
今、彼女は「嬉しい」と言ったように聞こえた。
いや、小さい声だったが、確かにそう言ったはず。
でも
昨日、海と電話して、今日も昔の友達から電話がかかってきたら、そういう言葉も出るのだろう。
「もうすぐ卒業だね」
「本当、月日が経つのって早いよ」
「昨日ね、海ちゃんに電話したの。雑誌見たら百合ちゃんと二人でインタビューされているから、思わず嬉しくなっちゃって。さっきも百合ちゃんに電話してたんだ」
嬉しそうに話す声に、彼女の姿を思い出す。
彼女は今みたいにいつも元気一杯で、思い出す姿はいつも笑顔だ。
「どうしたの?」
思い出に浸っていたので何も話さなかったからか、彼女は心配そうに訊ねてきた。
「あっ、ごめん。ちょっと、初めて会ったときのことを思い出していて・・・」
「ええ、恥ずかしいよ。忘れてって、言ったじゃない」
「いいや、忘れないよ。海の忘れ物を届けに女子野球部の部室のほうへ行こうとしたら、男子のほうの部室から凄い物音がして・・・覗いたら、荷物の山の中に雪だるま状態でさくらさんがいたんだよね」
「もう・・・」
二人で思い出して笑った。
よくこうして二人で話して、色々なことで笑い合った。
それが、本当に突然・・・
「ごめんね」
「急にどうしたの?」
「黙って転校しちゃって・・・一緒にいるうちに、どうしても切り出せなくなって・・・」
本当に突然だった。
いつものように学校に行ったら、いきなり転校したと言われたのだ。
その前日も、普通に一緒に帰っていたので信じられなかった。
あのときは本当に寂しく、しばらく学校で何をしていたのか思い出せないくらい抜け殻状態になっていた。
けれど・・・
「そんなこと・・・全然気にしなくていいよ」
今はそんなことを話しても仕方がない。
こうやって暗くなるために電話したわけではないのだ。
「・・・やっぱり優しいね、あなたって。全然変わってない」
「そうかな・・・それよりも修学旅行で再会したことのほうが驚いたよ」
偶然にもうちの高校と彼女の高校が、修学旅行の行き先が同じだった。
それを知らずに、自由行動を雅とコウの三人で回っていたら・・・
「あのときの雅、今思い出しても白々しかったもんな。言葉は棒読みだし、ホテルに忘れ物したって何故かコウも連れていくし」
「けど、その八坂くんが私たちをまた会わせてくれたんだから、感謝しないと」
その通りだった。
雅は彼女の高校のことを知っていて、彼女には修学旅行前にあの日あの場所に来るように連絡していたらしい。
「ほんの少しだけど、あのときはお話できて良かった」
「俺も」
少し恥ずかしいくらいの再会だったが、この件に関しては今でも雅に感謝している。
「あっ、もうこんな時間」
「本当だ・・・じゃ、そろそろ切るね」
「・・・」
「さくらさん?」
「えっ、何?」
「いや、おやすみ」
「うん・・・おやすみなさい」
電話する前の気分が嘘のような時間だった。
久し振りに聞いた彼女の声は、元気そうで変わっていないみたいだった。
そこに安心感を覚え、電話して良かったと思える。
みんなに感謝しなければいけないな・・・
「おっ、ちゃんと電話したみたいだね」
朝、教室に入るなり、雅が笑顔で近づいてくる。
まだ何も言っていないのに、どうしてこいつはそんなに簡単に分かるのだろう。
「お前の顔を見りゃ、一発で分かるよ。だてに三年間一緒じゃないって」
悪ふざけで頭を撫でてくるが、自分のことのように嬉しそうな表情をしているので悪い気はしない。
二人でじゃれ合っていると、珍しく遅刻ぎりぎりで海が教室に入ってきた。
「海、ありがと。昨日、さくらさんに電話したよ」
「えっ・・・あっ、電話したんだ・・・良かったね」
いつもの満面の笑顔というわけではない。
どこか、ぎこちのない笑顔で自分の席へと向かっていった。
「お前なあ・・・今のはないだろ」
「えっ」
「まあ、それが分かったらお前じゃないか。お前や、お前の周りは本当に苦労するよ」
言われている意味が分からないまま、海のほうへと視線を向ける。
目が合い、笑顔を見せるが、やはりいつもと違った笑顔だ・・・
夕食を済ませ、部屋に戻ってアルバムを広げる。
卒業や思い出などに、昨日までは浸るつもりなどなかった。
しかし、さくらさんに電話して、何故だかあの頃の思い出を見たくなったのだ。
アルバムを広げようとしたとき、部屋の電話が鳴り響いた。
「もしもし、桜沢といいますけど・・・」
「あっ、さくらさん」
まさか彼女から電話がかかってくるとは思っていなかった。
以前、連絡を取り合っていたとき、彼女からかかってきたことがなかったわけではない。
初めてではないのだが、昨日久し振りに電話をして、次の日というこのタイミングに驚いた。
「こんばんは。良かった・・・お家の人が出たら、どうしようかと思った」
「俺、一人暮らしみたいなものだから、いつでも平気だよ。どうしたの?」
「うん・・・別に用事があるわけじゃないの。少しあなたとお話しかったから・・・駄目かな?」
「いや、全然駄目じゃないよ。突然だったから、驚いただけ」
「くすっ・・・電話は突然かかってくるものだよ」
「あっ、これは一本取られた」
懐かしい・・・
アルバムを見ながらということもあり、あの頃のことが鮮明に思い出される。
あの頃はこんな何気ない会話を一緒にいるときにして、よく笑ったものだ。
「実はね、私、春からあなたと同じ大学なんだよ」
「えっ、そうなの!こっちの大学受けたんだ・・・って、なんで俺の・・・」
「海ちゃんから聞いたの」
どうやら、一昨日の海との電話で聞いたらしい。
「凄い偶然だよね」
「偶然じゃないよ・・・何校か迷ってたんだけど、海ちゃんにあなたが受験するって聞いたの。だから、あなたと同じ大学を第一志望にしたんだよ」
アルバムをめくる手が思わず止まる。
いや、普通に考えて、知り合いが一人もいないよりは、一人でもいたほうがいい。
そういう考えからの言葉だろう。
「あっ、でも俺の学部・・・」
「でも、本当に合格できるとは思わなかったけどね。嬉しいな~」
話を切られてしまったが、このことは後で話せばいいだろう。
「俺も嬉しいよ」
「まだ一人暮らしは駄目なんだけどね。四つ隣の駅にお姉ちゃんがいるから、お父さんがしばらくは二人で暮らせって。でも、四つだったら十五分くらいだよね?」
本当に嬉しそうに話している彼女の声を聞いて、先程の件は完全に行き先を失ってしまった。
今日でなくても、また別の機会に話せばいいだろう・・・
別の機会
まさか、またこんな風に話せる日がくるとは・・・
「ごめんね。なんか、私一人で話してるね」
「いや、全然いいよ。なんか思い出しちゃってさ、さくらさんがうちの高校にいた頃のこと。あの頃は、学校でよくこうして話してたよね」
「・・・」
「楽しかったなって・・・」
「・・・駄目、だよ」
「駄目だよ。そんなこと言ったら・・・会いたくなるから」
耳から受話器を外し、呆然としてしまう。
こんな悲しそうな彼女の声を聞いたのは初めてだ。
出会ってから、いつだって・・・転校する前日だって明るかった彼女。
彼女がどれほどの辛い思いで転校したのか。
それを我慢して乗り越えて、向こうの学校でまた明るく振る舞ってきたのか。
この悲しい声が、それを物語っている。
「ごめんね。わがままだって分かっている・・・」
これ以上、彼女に辛い思いをしてほしくない。
「俺だって会いたいよ」
その気持ちが言葉に乗り移った。
「会おうよ!」
「ありがと。その言葉だけで嬉しい」
会うにしても学校が終わってから向こうに行っても、全然時間が足りない。
何か、何か良い方法はないのか。
「・・・決めた。私、明日そっちに行く」
「えっ」
「こっちは卒業式前日まで、今は自由登校だから」
「いいの?」
少し言葉に詰まる。
やはり、無理をしているのだろう。
「平気!もう、決めたから」
彼女の声は、いつもの明るい声に戻っていた。
そのとき、あの頃の彼女の笑顔が頭の中に映し出された。
さくらさんに会える。
そのことで頭が一杯で、学校での会話などは一切入ってこなかった。
実際に会うのは修学旅行のとき以来で、一年四ヶ月振り。
この期間で彼女は変わっただろうか、それとも変わっていないのだろうか。
様々な姿を想像しては一人小さく笑い、学校では完全に変人と思われていたかもしれない。
それでも、会えることへの喜びは尽きることはなかった。
学校が終わり、いの一番に教室を飛び出す。
ロッカーで靴を履き替え、駅へと走って向かった。
少しでも早く会いたい。
彼女は早めに着いて、駅の近くにあるファーストフード店で待っていると言った。
きっと、もう着いているはずだ。
少しでも・・・
ほんの少しでも早く会いたい。
店の前に着き、中を見渡す。
「随分早かったね」
その声に振り返ると、そこにはあのときと変わらない彼女が立っていた。