「パパ、行ってらっしゃい」
「かおり、パパが居ない間、ママの言うことをちゃんと聞いていい子にしてるんだぞ」
「は~い」

 小池聡史(こいけさとし)三十二歳。
 一つ年下の妻と、今年三歳になる娘と三人で札幌の町で暮らしていた。
 出身は福岡で、札幌へは五年前に転勤でやって来た。
 妻の直美とはこちらで出会って結婚した。
 今日から三日間、久しぶりに福岡へ帰る。
 と言っても、支店での会議に出席する他、得意先回りもあって、ゆっくり実家に帰る暇はなさそうだ。
 それに実家の両親は、正月に孫のかおりを見るのが楽しみで、息子が一人で帰省しても、何の歓迎も受けない。
 玄関で家族に見送られ、空港に向かった。

 十二月十日。
 札幌では雪が舞っていたが、福岡ではコート無しでも過ごせそうだった。
 飛行機は、定刻より二十分遅れで離陸した。
 彼はイヤホンを付けると、静かに目を閉じた。

 福岡空港は都心にある。
 地下鉄やバスの便も良く、中央区にある支店までは地下鉄を利用して十五分もあれば到着出来た。

「お疲れ様です」

 支店の扉を開けると、受付にいた女の子がにこやかに挨拶をしてくれた。

「やあ児島さん、元気そうだね」
「はい。おかげ様で」

 彼女は、五年前彼がまだここで働いていた頃から勤務していた。
 高校を卒業してすぐに働き出した彼女。
 まだ二十三歳だったが、既にベテランになっていた。

「よお、小池。久しぶり」

 事務所に入ると、彼が一番心を許せる同僚の、平山陽一(ひらやまよういち)が出迎えてくれた。

「平山、元気だったか?」
「ああ。お前こそ元気そうでなによりだ。今回は、何日位こっちにいるんだ?」
「三日だ」
「短いんだな。夜、時間があったら飲みに行こうや」
「そうだな。会議が早く終わることを祈っててくれ」
「わかった」

 その夜彼は、陽一、それから後輩何人かと街に繰り出した。
 やはりバブルの頃とはかなり活気が違う。
 ネオンが消えた店もかなり見受けられた。
 昔よく通っていたスナックに入ると、自然と昔話に花が咲く。
 そして、最近控えていたお酒にもつい手が伸びた。

「小池、あんまり飲み過ぎるなよ。明日は朝から得意先回りなんだろ?」
「大丈夫だって」
 
 それから彼らが店を出たのは、午前二時を過ぎた頃だった。

「それじゃ小池先輩、俺たちはここで。今日はご馳走様でした」
「おー。気をつけて帰れよ」
「お疲れ様です」

 彼は陽一と表通りまで歩くと、そこで別れを告げホテルに向かった。
 久しぶりに楽しいお酒を口にしたせいか、ふわふわとした良い気持ちだった。
 足が地に着いている感覚もあまりない。
 それでも、遠くに見えていたホテルが近づいているので、ちゃんと前には進んでいるようだ。

「聡史・・・」

 女性の声に振り返る。

「洋子?」
「やっぱり聡史だ。元気だった?」
「ああ。そっちこそ元気そうだな」
 
 そう言った時だった。
 急に頭が回り出したかと思うと、目の前が暗くなった。


 どれくらい経っただろうか。
 気がつくと、彼は彼女の部屋のベッドに寝ていた。
 窓の外は明るくなっていた。

「俺・・・」
「おはよう、聡史。夕べは急に倒れちゃうからびっくりしちゃった」
「えっ? そうだったかなー。よく覚えてない・・・」
「朝ごはん出来たわよ。食べて」
「ありがとう・・・」
「ねえ、今日はどこに行く?」
「えっ?」
「やだ聡史ったら。日曜日はいつも二人でドライブしてたでしょ」
「ああ、そうだったね」
「私、海に行きたいわ」
「それじゃ、ご飯食べたら出かけよう」
「嬉しい」
 
 二人は近くの海に出かけた。
 十二月の海は他に誰もいなくて静かだった。
 波は高い方で、白い波飛沫が近くの岩に当たっては砕けていた。

「やっぱり冬の海はちょっと寒いな」
「聡史と一緒だから平気」

 彼女は彼の腕に自分の腕を絡ませた。

「ほら、すっかり体も冷えてるじゃないか。そろそろ車に戻ろう」
「そうね」

 アパートに戻ると、彼女は夕飯の支度に取り掛かった。
 彼は食事の準備が出来るまで、リビングでテレビを観ながら待っていた。