叫び出したい気持ちを抑えて、足をがむしゃらに動かす。走って走って走って。息が苦しくなって目を瞑ると、柔らかく微笑む譲治の顔が頭に浮かぶ。

いつか海外で通訳になりたいんだ、と両親以外誰にも打ち明けたことのない夢を語った時、譲治はいい夢だね、と言った。

そうしたら、俺もついていくよ、と。

いつものように、ナオミとジョージなんて海外暮らしに御誂え向きな名前だね、と冗談を言って笑いあった。

その時は同じ未来を見ていた筈だった。



走って走って、国立公園まで行った。

財布を持っていなかったし、そもそも閉館していたから中に入れはしなかったけれど、手前にあるベンチに一人座った。

街灯があるものの空は暗く、黒く、星は一つも見えなかった。

そこで奈緒美は一頻り泣いた。

頬を伝う涙に気付き、泣きたいのだ、と思い至ってから、子供のように声を上げて泣いた。

諦めきれず、この場所に来てしまう自分が嫌だった。




好きだった。


ただもう単純に好きだった。

笑った顔が何より好きだった。

セックスだって、好きだった。

譲治が初め、好きな人とするものだと言った意味を理解して、実感して、奈緒美は抱かれる度ぐずぐずに蕩ける甘さを感じていた。


頷いたのは見栄だった。
情けなく縋りたくなかった。

譲治に見せていた奈緒美のまま、譲治の記憶に残りたかった。


朝の光を受けて家に帰れば、もう何もなかった。

CDの山は跡形も、洗面台の歯磨きも、部屋干ししてあったバンドのロゴタオルも、全てまるで初めからなかったかのように消えていた。


そして一つ、剥き出しの合鍵が三和土の上に放られていた。