Vol.5 資質



ルイに連れられて店を出た。

時計の針は深夜1時を指している。

ココで当時の状況を振りかえることにしよう。

この時代のホストクラブは深夜営業が当たり前で早くて夕方18時から朝の7時頃まで営業をしていることが珍しくなかった。

数年後、歌舞伎町浄化における条例が発令されることなどこの時はまだ誰も知らない。

体験入店したお店、アクアプリンスは夕方18時から0時が一部、1時から7時までが二部という交代制で成り立っていた。

つまりボクが働いたのはこのお店の一部ということ。

ナンバーワンのルイは自由出勤という特別枠の為、この一部、二部を通した営業時間内で好きな時間に出てきても良いし、帰っても良いということだ。

勿論、出勤を強制されることもない為、極端な話、月に一度も出勤しなくてもいい。

ちなみにこの自由出勤の基準は、月初から月末の締日までを通して小計1000万円の売上があるということ。

このお店はtaxが40%だったことから、彼の月の売上は1400万円を越しているということだ。

この1400万円という売上。

言うのは簡単だが、この売上を個人が持っているということは驚異的だと言える。

いくらこの頃がホストブームとはいえ、1400万円の売上どころかホストの大半が売上100万円すら厳しい世界なのだ。

水商売経験者ならばこの数字の凄さが嫌でもわかるはず。

100万円という給料がもらえて初めてホストと呼べる、と言ったのはこのお店のオーナーの言葉。

つまり売上が240万円を越えて50%のバック率を得てこそ初めてホストの一歩目を踏み出せたということなのだ。

ルイに至ってはこの時までこの自由出勤を8ヵ月連続で獲得している。

ざっと8ヵ月で1億以上の売上があるということ。

これがまた驚異的。

ホストにはプレオープンからグランドオープン、周年にバースデー、その他にも様々なイベントがある。

例えば自分が主役のバースデー月はそれまでの月平均売上を越すことは誰にでも容易い。

しかし、ルイは自分のバースデー月を挟むことなくこの驚異的な数字を叩いているのだ。

そして彼が貰っている給料。

月に1400万円の総計に対して小計は1000万円。

その小計から少なく見積もってもこのお店では72%のバック率があるとして、700万円程が彼の報酬になるのだ。

総計から考えるとお店に700万円、彼に700万円の折半になるということ。

バック率は各店舗によって優劣はあるが、売上に対して比例することが一般的。

72%のバック率、これ自体にも異常を感じるが店としてもそれだけ潤うという部分で痛くもないといったところだろうか。

それが8ヵ月だから、6000万円弱を半年と少しで稼いだ計算だ。

ちなみにココで書くにはまだ早いのだが、蓮ことボク自身が月に1000万円という売上を叩いたことはホスト人生の中ででたったの一度しかない、それも総計で。

それもずっと先のお話。





この時ルイはまだ弱冠20歳。

皮肉にもボクと同い年だった。

そんなルイについて歩く歌舞伎町。

まだルイのことを何も知らないボクは私服のルイを見て、同学年の普通の男の子だと思った。

「蓮さぁ、何食べたい?オレね、ホッケ定食かうどん食べたいんだよなぁ」

え?ホッケって魚?いや、ホッケは確かにウマイよ?でもさ、普通は叙々苑の焼肉とか寿司とか食べるんじゃねーの?しかもホッケかうどんって。共通点なさすぎじゃん。アナタ、ナンバーワンでしょ?

と思いながらもホッケ定食行きましょうと笑顔で返した。

着いた定食屋でホッケ定食を2つ、それから瓶ビールをルイが嬉しそうに頼んだ。

その定食屋にはルイがお母さんと呼ぶ女将サンが居た。

この日からボクもその女将サンのことをお母さんと呼ぶようになった。

食事を終えるとルイはお釣りはいらないと言って一万円札を置いていった。

定食屋を出て、区役所通りでタクシーを拾いルイはボクにも乗るように言ったのでひとまず乗った。

向かった先は麻布十番にあるバー。

さっきまでの喧騒の街中とは裏腹に、静かで落ち着いた空気が流れている。

入ってきて一瞬でココが好きだって言えるくらいの雰囲気だ。

カウンターの一番角に座ったルイが頼んだグラスホッパーをボクも一緒のヤツで、とバーテンダーにお願いした。

その時、ココに来るまで一度も仕事の話をしなかったルイが仕事の話をしてきた。

「今日、あづさって客居たじゃん?あの子にちゃんと接客してくれてありがとな」

え?ちゃんとした接客?

ルイは続けた。

「あの子さ、ウチに通って5ヵ月なんだけどね、普段ヘルプする皆が接客すること嫌がるんだよね」

ルイはどことなく少し淋しそうな表情だ。

「仕事柄、結構自分を追い詰めるヤツでさ、そのせいでクスリにハマッててね、たまに痛いコトやるんだぁ」

そういう客をホスト達は痛客と呼ぶ。

「蓮以外のプレイヤーが枝にがっついてるの他の卓からずっと見てたよ、あはは、普段あんなに盛り上げることできねーくせに」

プレイヤーとはホストのこと、メンキャバならばキャストと呼び、黒服やキャッシャー、ホストを卓にうまく配置するつけ回しと呼ばれる人などはまとめて内勤と呼ばれる。

「帰り際にあづさがさ、今日は楽しかったって言いやがった、普段そんなこと一言も聞いたことねーっての、あははは」

え?別に彼女を楽しませられたのはボクの力ではないよ?

「この店で初めて真剣に話聞いてくれたのが蓮だってあづさが言ってたよ、それがまじでオレもうれしかったんだぁ」

別に、普通に一生懸命会話に集中してただけだよ?

「今日の枝の子、次来たら絶対蓮指名にしてやる」

え?おいおい、それってアナタのさじ加減なの?それともあづさちゃんのさじ加減?どちらにせよ、枝の子の意志はどうなるの?

それからすぐにわかること。

ホストクラブの中では力のある者がその場を支配するということ。

女の子は決して恋人探しでホストクラブに来るのではない。

ハッキリ言ってそんな短時間の接客で、数居る中からこのホストが絶対良いなどと言える女性は少ない。

単純に一期一会、その一言に尽きる。

捨てるほど居るイケメンな男、捨てるほど居る優しい男、捨てるほど居る面白い男。

その中から偶然に出会ったホストがその女性に選ばれ、そこから新たな人間関係が生まれるのだ。

たまたま出身地が同じ、たまたま好きなアーティストが同じ、たまたま好きな香水が同じ。

そんな些細な共通点から指名にまで繋がり、どれくらいの期間で切れるのかは別として上客になる女性も少なくはない。

そう考えると偶然の出会いは運命に左右されるのかもしれない。

例えば売れっ子ホストに指名客が10人も居れば、呼ばれもしない限り、つけ回しの人間は彼を新規の客には付け辛い。

客が写真を見てこのホストが良いと言ったところでそのホストが休んでいた場合は、結局違うホストを選んでそれなりに楽しんで帰るのだ。

ルイが言った、「枝の子次来たら絶対蓮指名にしてやる」これもあながち嘘ではない。

ルイが推せばあづさちゃんが推す、よっぽどタイプではないという場合を除いてはほぼ、その推しに女の子は委ねてしまう。

ファーストコンタクトでホストとはその程度の男で十分なのだ。

簡単に言えば誰でも良い、いや、誰でも同じ、の方が適切かもしれない。

そしてそれから先がそのホストの力によるモノである。

ルイはそんな一期一会をもコントロールするかの様な資質があったのかもしれない。

実証済みの売上にナンバーワンの肩書き、それだけでも相当強力な武器になるのに。




3杯ほどのカクテルを飲み終えて、バーを後にした。

ルイはタクシー代と言ってボクにお金を渡して先にタクシーに乗って帰っていった。

次に通ったタクシーを止めてボクはドライバーに歌舞伎町のカプセルホテルを告げた。

ホテルに着き部屋に入って考え、決意した。

明日からあの店で働こう、と。

アラームを15時にセットして、疲れていたことも手伝ってその日はすぐに眠りにつけた。

既に外には朝日が顔を出していた。











今考えると、

一介の体験入店の素人ホストに1000万プレイヤーのホストが相手なんてしてくれるはずがない。

あの日、ずっと間が空くことなくルイの携帯は鳴りっぱなしだったのに、彼は一度も携帯を開かなかった。

そんな彼とこの時間を過ごしたことも全て偶然であるならば、もしかしたらボクにも偶然を必然にする力がこの時あったのかもしれない。