その日は一日気分がよかった。

放課後やってきたセーラー服のなっちゃんに、あの妊婦さんに入れてあげたスペシャルブレンドをサービスする。
たぶん、うちに足繁く通ってくれる常連さんの中で、今一番、味に敏感なのは、なっちゃんだから、感想も聞いてみたかった。

「いつもと違う香りがします。甘い……」
ゴリゴリとミルで粗く豆を挽いていると、なっちゃんがそうつぶやいた。

「スペシャルブレンドです。単価が高すぎるので、お店には出せませんが。試してみてください。」
そう言いながら、丁寧にネルドリップでコーヒーを入れた。
「どうぞ。いつもより熱いから気をつけてくださいね。」

なっちゃんは、まるで茶室でお家元からお点前をいただくかのように、改まって恭しくコーヒーカップを持ちあげた。
「ほんとに甘い香り。でもいつもよりシンプル?何だろう。コーヒー豆の種類が減ってるんですか?」

「企業秘密です。」

なっちゃんは首をかしげながら、カップに口を付けると、静かに目を閉じてコーヒーを味わった。
「いかがですか?」
待ち切れずにそう聞くと、なっちゃんは少し考えながら言った。

「美味しいです。とても濃くて深いのに、いつもよりスッキリしてるというか、澄んでいるというか……雑味も酸味も苦味もなくて、繊細な味ですね。コレに慣れると他のコーヒーは飲めなくなりそうですね。」
……言い得て妙だな。

「ありがとうございます。でも、他のコーヒーが飲めないというのは、困りましたね。やっぱり店では出せませんかぁ。」
俺がそう言うと、なっちゃんは慌てて言った。
「え!でも、こんなに美味しいのにこれっきりは嫌です!あ、いつものブレンドも、もちろんすごーく美味しいんですけど……別次元というか……」

満足して俺はうなずく。
「うれしいです。わかってくださるお客さまには、たま~にお出ししてもいいかもしれませんね。」

なっちゃんははにかむようにほほ笑んだ。

「値段はいつもの倍の800円。名前は……『タレーラン』。」
俺がそう言うと、なっちゃんはハッとしたように目を見開いた。

「タレーラン!ナポレオンの時代の外交官ですよね!」
よく知ってるなあ。

「ええ。彼はコーヒーについて有名な言葉を残しているので、それをイメージしてブレンドしました。」
「どんな言葉ですか?」

なっちゃんにそう聞かれて、俺はおもむろに店の角に掲げた古い額を指さした。
細工彫りに鈍い金泥を施した仰々しい額だが、経年による劣化がいい具合に深さを演出している。
羊皮紙には麗しい筆記体でフランス語がつらつらと綴られていた。