私はベッドから出て、夫の背中から抱きついてみた。
「新婚旅行もお預けなんでしょ?結婚式の翌日ぐらいゆっくりしてもいいじゃありませんか。……オーストリア皇太子妃でもあるまいし。」

「オーストリア?」
耳まで赤くなっていた夫の顔色が戻り、いぶかしげに振り返って私を見た。

「あ……ミュージカルの話です。『エリザベート』。初夜の翌朝5時に、いきなり姑がたたき起こしに来るんです。ひどいでしょ?」

夫は首をかしげた。
「それは史実ではありませんね。皇室や王家の予定は分刻みで何日も前から決まっているはずですから。中世なら夜の営みでさえも確認されてるぐらいです。」

「……そうですか。そうかもしれませんね。」
何だか鼻白んでしまった私とは対照的に、夫はニッコリとほほ笑んだ。

「ちょうどいい機会ですから、欧州の歴史をちゃんと学んでみてはいかがですか?家にいい本がありますよ。ハプスブルク家は中世から近代までの欧州を知るにはいいきっかけになると思います。」
そう言えば、こういうヒトだったな。

あまり弁舌ではないし、職業上の話は一切しないけれど、歴史特に紛争にはやたら詳しい。
私がたまたま漫画やミュージカルの影響で、高校の世界史では習わない革命や反体制運動を知っていたことが、話しのきっかけになった……。



郡(こおり)さんと私は、友人に紹介されて知り合った。
自衛隊にも幹部にも全く興味がなかったが、いかにも穏やかで優しいおぼっちゃん然とした雰囲気には悪い印象を覚えなかった。
郡さんにも少なくとも悪印象を抱かれてないとは思っていたけれど……ある日、突然、郡さんが家にやって来たのには心底驚いた。

釣書と手土産のケーキと大きな花束を抱えた郡さんを、母は最初こそ胡散臭そうに見ていたが、釣書を見てコロッと態度を変えた。
母に煽られて、逆に私はますます郡さんに頑なな態度を取るようになった。

……もちろん、ずっと章(あきら)さんが好きだったから、他の人と付き合うなんて考えられなかったし。
でも郡さんは、根気強く私の気持ちがほぐれるのを待った。
私の気持ちが他にあることも、母への確執も、全て受け入れてその上で、結婚を前提とした交際をしてほしい、とお願いされた。

しばらくして、郡さんは神戸から横須賀へ転勤になった。
……だいたい2年に1度の転勤があるらしく、郡さんは定年まで転々とすることになるらしい。
30歳に手が届きそうな郡さんは、既にこれまでに、青森・舞鶴・フィラデルフィアでの勤務と艦隊勤務を経て神戸にいたのだという。

横浜のご実家から横須賀に通勤されるということで、お忙しいだろうし、これでご縁も切れると思っていた。