「出勤て、4月からじゃなかった?」
「……ホントは去年の9月から来て欲しいって言われてたから、思い切って予定を早めました。」
「よく、部屋、空いてたね。」
「空いてないから、女子会館って、系列の女子大生のための寮に入ります。」

……何だ、それ。
そこまでして、俺から早く逃げ出したいんだ。

憮然としてる俺に、なっちゃんは謝った。
「ごめんなさい。せっかく、章(あきら)さんが引き留めてくださったのに……」

「一応、プロポーズだから。あれ。」
こうまでオオゴトになってしまって、なっちゃんにちゃんと伝わってないと口惜しいので、念押しした。

なっちゃんは、困った顔になった。
「……ごめんなさい。すごくうれしいのに……今は、無理。」

今は、か。
それってやっぱり、アレだよな。

「見てた?……んだよな?たぶん。」

なっちゃんがまた涙を浮かべた。
「あの人なんですね。章さんの心にずーっと住み着いてたのは。」

……その言い方、ずるい。
永遠に片思いで過去も今後も何もない……って言いくるめるはずだったのに。
それじゃ否定できないじゃないか。

「あんな幸せそうな章さん、見たことない。」
なっちゃんの目から盛大に涙がこぼれ落ちる。
「私じゃ、ダメだって、気づきました。私、章さんを幸せにしてあげられない。自分の無力さが、くやしい……」

そんなことない。
充分、幸せなんだよ。
本当に、なっちゃんといるの、居心地いいんだ。

……多少、盛って力説することは可能だった。
でも、俺は妙になっちゃんに共感してしまった。

ああ、俺たち、同じなんだ。
俺が、自分では真澄さんにあの笑顔を取り戻させてあげられないと痛感しているように、なっちゃんは俺に対して無力感を抱いてしまったのだろう。

「……同病相憐れむ……ってわけにはいかないか。」
「そこまで、割り切れません。」
「……割り切って結婚したくせに。」

つい、また、憎まれ口をたたいてしまった。
どうして俺はこう、なっちゃんには余計なことまで言って虐めてしまうんだろう……真澄さんには何も言えないのに。

なっちゃんは俺をジッと見つめた。
「だから、後悔してほしくないんです。章さんに。義理や同情で結婚なんかしてほしくない。」

後悔……するのか?俺が?

「何となくわかる気がする。俺も逆に、なっちゃんに後悔させない自信がなくて、ずっとためらってたから。」

つい本音がこぼれた。
しまった……と思ったけど、意外となっちゃんは同調した。

「嫌になるぐらい、理解できます。」

思わず顔を見合わせて、笑ってしまった。