「俺はそんな話がしたい訳じゃない!俺たちのことを話したいんだ。どうして彼が出てくるんだよ。そうだよ、俺たちは変わらないといけない。気持ちを押し殺す必要なんてないんだよ」

本当に?あなたを信じてもいいの?

二人の顔が、徐々に近づいていく。
このまま、その唇に触れたい。今すぐに。
あと少し……。あと数センチで、ずっと欲しかった温もりに触れることができる。
私はそっと目を閉じて、そのときを待った。

その瞬間。

前方から、営業部の人たちが数名、ガヤガヤと話しながら歩いてくるのが見えた。
私たちは、慌ててぱっと離れた。

「あれー、星野。お前、本当にこっちに赴任してきたんだな」

そのうちの一人が片手を上げて、拓哉に向かってにこやかに話しかけてきた。

「木場。久しぶりだな。そうなんだ。少し前からこっちにいるよ。またよろしく」

同期かなにかだろうか。
仲良さげに笑い合う。

「星野、聞いたぜ~。お前さ、本社で昇格する話を蹴ったらしいじゃん。そのせいでここに来たとか。同期で噂になってるよ。変わってるな、本当にお前は」

「まあな。こっちに来なくちゃならない理由があって。自分で異動願いを出したんだ」

ワイワイと拓哉の周りに集まる人たちを見ながら、私は今のうちにこの場をそっと離れようと、足を踏み出した。

「理由?サラリーマンに、昇格以上のことなんてあるか?まさか……女とか?ハハッ。流石にそれはないか。お前はそんな馬鹿な奴じゃ……」


「そのまさかだよ。昔の恋人に会いたくてね。彼女のそばに行きたくて。ここに来た」

拓哉がはっきりと言い切ったとたん、彼の周りが静まり返った。


「嘘だろ!?正気かよ。あのまま本社で昇格したなら、出世まっしぐらだろ?」


「いいんだ、そんなことは。今の俺にとって大切なことは出世じゃない。ずっと彼女だけを想ってきた。ようやく彼女のそばに行けるチャンスがきたからさ」


「マジかよ!?どうかしてるぞ」



背後から聞こえた会話に、思わず足を止めて振り返る。

拓哉も、私を見ていた。

あなたも胸を燻られるような気持ちでいたの?
私を思い出して、眠れない夜を過ごしていたとでも?
私も、ずっと同じ場所にいた。
身動きできずに、震えながら。

これから、彼との間になにが起きるのか。

あの日の出来事に、本当は事情があったならば。


私は、ざわつく胸を押さえて彼を見つめていた。
周りの景色が、止まっているようだ。
私を見つめる拓哉以外には、もうなにも見えない。