「さあ。もう服を着て。送って行くから。今夜このままここに泊まったら俺の理性がなくなってしまうからね」
彼は立ち上がると、窓の方へ向かい煙草に火をつけた。
「本当に今日はごめんなさい。あの、すぐに準備します」
言いながら、急いで床に落ちた服に手を伸ばした。
「芹香ちゃん。君は、本当は俺のことなんて…」
「はい?」
煙草の煙を吐き出しながらなにかを言いかけた彼のほうを見る。彼はカーテンをシャッと開け、窓の外の夜景を見ている。私はシーツを身体に巻いたままの格好で、話の続きを待った。
「本当は…いや、なんて言ったらいいかわからないけど…。こんなことを考えたくはないんだけどさ」
そこまで言ってから、佐伯さんは私に背を向けたまま俯いて黙り込んだ。
薄暗く小さな、ホテルの部屋の中よりも、窓の外からの夜景の光の方が明るい。
夜景の中に浮かぶように見える佐伯さんの影を、私は冷静に見つめた。
会社での敏腕課長と、目の前にいる彼が同一人物とは思えない不思議な気持ちになる。言いたいことを押し殺し、こんな風に黙るイメージは、普段の彼にはなかった。
的確な指示を瞬時に部下に出す、そんな彼を毎日見ているからだろうか。
私の曖昧な態度が、大人の彼を振り回している。困らせている。
改めて考える。
私はどうして佐伯さんに好意を持ったのか。ただ、憧れていただけなのか。
一回りも歳の離れた上司と、ここで今、なにをしようとしていたのか。だんだんと頭が冷静になっていく。
恋愛しているつもりで、浮かれて飾り立てていたイミテーションの気持ちがゆっくりと剥がされていくような不思議な感覚。
彼にときめきや、愛しさをこれまで確かに感じたような気がしていたのに。全て錯覚だったのだろうか。