碧生くんはご機嫌さんになって、車を発進させた。

……しばらくたってから思い出したように言った。
「水島のS級デビュー戦、師匠の泉さんも一緒なんだって。早速、自分専用の馬に乗れる、ってご満悦らしいよ。」

「……そうですか。」
それ以上何も言えなくて、わたしは押し黙った。

碧生くんは知ってか知らずか、それ以上何も言わなかった。

泉さんは、明後日から平塚記念(G3)を出走するはず。
あれっきり何の連絡もとってないけれど、とりあえず、競走に出走されるならお元気なのだろう。

忘れよう。
忘れられる。
碧生くんがいてくれるなら。


翌日も碧生(あおい)くんは車で大学まで送迎してくれた。
お昼に講義が終わるとすぐにキャンパスを飛び出した。

……途中で届いた碧生くんからのメールによると、恭匡(やすまさ)さんと由未さんから急にランチに誘われたらしい。

「大変!お待たせしちゃう!急いで!有料道路乗って!」
慌てて車に乗り込んだ私に、碧生くんは苦笑した。

「大丈夫だよ。観光してるらしいから。」
観光……いまさら?
「やすまっさんて、ほんと、京都の料理、好きだよな。東山の割烹に行くらしいよ。夜は馴染みの料亭。明日の披露宴も当然京料理だろうし。食い溜めして帰る気だろうか。」

コホン!と、咳払いをして、碧生くんをたしなめた。
お友達付き合いしてるのはわかってるけど、いくら碧生くんでも天花寺(てんげいじ)家の恭匡さんに対してぞんざいなのは看過できない。

「あ、なんか、おばさまも同じことしてらした!似たもの親子さん♪」
くすくす笑う碧生くん。

天花寺本家を母と私がどれだけ思慕してるか……わかって揶揄しても角(かど)が立たないのね。
得な人。

恭匡さんと由未さんの待つ割烹は、観光地の賑やかな通りから路地を入ったところにあった。
 
「ごきげんよう。恭匡さん、由未さん。お待たせしてしまって、申し訳ありません。」
「やあ、百合子。突然、悪いね。碧生くんはどう?振り回されて、嫌になってない?」

チラリと碧生くんを見る。
得意気に胸を張っている碧生くんに、私の頬は自然と緩んだ。

「毎日楽しいですわ。」
素直な私の返事に、恭匡さんも由未さんも色めき立った。 

「よかったぁ……。」
由未さんの心配が伝わってきて、私の心も温かくなった気がした。
「何、得意そうな顔してんの。まだ、百合子、付き合うとは言ってないよ?ねえ?」

恭匡さんはそんなふうに碧生くんをからかっていたけれど、とっても楽しそうだった。