「碧生くん、まったく日本語に不自由なさそうだから、意外。何でそんなに上手なの?」

「……家族の中で、俺だけがルーツにこだわって、日本語学校に通ったり、日本人留学生に家庭教師してもらったから?日本に住んで4年以上たつし。」

そうなのね。
私にとっては、普通のまったりした会話でも、碧生くんの脳は英語と日本語がめまぐるしく交錯して、たぶん働きまくっているのだろう。

「それで、さっきは何て言ったの?」
碧生くんはしどろもどろになって、何かを言おうしたけれど、やっぱり言えなくて、結局あきらめたらしい。

「内緒。」
そう言って、前を見た。
ちょっとムッとしたけれど、耳まで赤くなってしまった碧生くんを見ると、聞かなくてもわかったような気がした。

「夕べ、内緒って言葉が嫌いになりました。碧生くんのことも、嫌いにならないうちに、今度は日本語で教えてくださいね。」
敢えて敬語でそう言って、これみよがしに、つーんとそっぽを向いた。

碧生くんは、日本語か英語かわからない言葉でぼやいた。


3コマめの講義の後、図書館に行く前に碧生(あおい)くんにメールで連絡を入れた。

<図書館に入ります。私のほうは何時まででも大丈夫ですので、碧生くんの都合のいい時間にいらしてください。すぐ出ます。>

……本当は、図書館に特に用事はなかった。
もちろん、暇つぶしはいくらでも可能だし、碧生くんのおかげで少し興味のでてきた分野の調べものをしていてもいいのだが。
何となくそわそわと碧生くんの連絡を待ってしまっている自分がおかしかった。

素直になるのって、難しい。
少しでも不信感と不満を感じると、もう、意地を張ってしまう。
そんなことしても、何も好転しないのに。

私には、うまく駆け引きできるしたたかさもない。
臆病に押し黙るか逃げ出すかしかできない。
不毛だわ。

碧生くんからはすぐに返信があった。

<ありがとう。でもこっちはもういいよ。百合子がよければこれからすぐ向かうけど。いい?>

私の心がパッと華やいだ。

<はい。大丈夫です。お待ちしています。>

適当に取った本を書架に戻して、いそいそと図書館を出た。
さっき碧生くんが下ろしてくれた南門の駐車場のそばへ向かう……あれ?
既に碧生くんの車が駐まっていた。
国会図書館からココまで車で30分近くかかるはずなのに。

「……早かったね。」
「碧生くんも。」

車に乗り込んで顔を見合わせて、笑い合った。

「百合子に早く会って仲直りしたかったから。」
「……別に喧嘩してたわけじゃありませんけど……」
「じゃ、ご機嫌とりでも何でもして、敬語をやめてもらおうと思って。」

碧生くんは、くったくなくそう言った。
そんな風に言ってても全く卑屈なところがない碧生くんに、私も自然と心がほぐれた。