・・パタン。
ブリミエルが兵を引き上げてゆくのを見届け、ウェルスターは執務室に戻ってきた。
「騎士団の兵から二人、念のため扉の前に配置しておきました。」

「ご苦労。」
執務椅子に深く腰掛け、思案にふけっていたフランツが顔を上げて応えた。
きれいな形の指先をあごの下に添えている。組んだ脚はすらりと長い。

視線の先にはアイザックと、彼から治療を受けている最中のディアナがいる。
「少し痛むかもしれないが・・」
「ん・・ぁ・・っ!」

消毒薬が沁みてディアナは身体をびくっと震わせた。
「しばらくすれば傷もきれいに目立たなくなるはずだよ。」
アイザックがそっと薬を塗りこむ。
白い肌に血がにじむ傷口、なめらかですべすべの肌。止血していたところが色を変えている。

「しびれはもうないかい?」
「もう、ほとんど。。」
さっきまでの全身のしびれは薄れてきていた。

「ありがとう。」
苦笑とともにアイザックが大きく手を顔の前で振る。
もとはといえば、逃げるディアナを捕らえるために兵士が射た矢で負傷したのだから。

フランツが組んだ脚をほどき、体を前にのめりだす。
「質問が途中になっていたね。この事態にきみを巻き込んですまないと思うが、きみは一体誰だい?どうして私とレデオンがいたあの場所にいたのか、
話してくれるね?」
フランツはまっすぐにディアナを見ていた。
ウェルスターもアイザックもディアナに瞳を向ける。


「わたしは・・」
こくん、とディアナは視線を自分の膝の上に落とした。
≪信じてくれるだろうか?・・≫
しばらくの沈黙・・。


「わたしは・・」

ディアナがひとつずつ言葉を探すように口を開く。

「突然・・目の前にぱっと青い光が広がって・・気が付いたら、分厚い布が目の前にあって、それをひいたら・・。人が二人いるのが見えて・・。
さっき倒れた男の人が・・何故だか上を向いて、光るものが見えたような・・。
そしたら急に苦しそうに身体を曲げて、口から血が・・」
ディアナはギュッと両手をにぎり合わせた。

「その光ったのは何だったかわかるか?」
ウェルスターの問いに、ディアナは首を横に振った。

「きらっと、、上から下に・・すっと光が降りてきたような・・。」
「青い光というのは何だい?きみはどこにいた?突然、目の前に、違う場所にいたと?」

ディアナは答えようがなかった。
≪信じてもらえない。。≫

自分がここではない全く別なところから来たなどとはきっと信じてもらえない。それは当然だと思われた。
自分でさえ、今のこの状況に困惑しているのだから。今でさえ夢なのではないかと思っているのだから・・。
「信じてもらえないかもしれないけれど・・」
腕の痛みも現実のもののように鋭く痛かった。こんなにはっきりしたものが夢なのだろうか・・。

「私も、信じられないけれど・・ここは私のいた場所とは全く違っていて・・」
ごくり、のどをならす。告げようか、決められずにいるディアナの頭上で声がした。

「草原と岩々が連なる、静かな湖の横たわる場所から来た?」


はっとして見上げた。薄青い瞳が私をまっすぐに見つめていた。
その瞳に捕らえられてしまう。すべて見透かそうとする瞳だった。


「どうして?どうして私の居たところを知っているの?それはこの国と同じなの?」
やっとのことで口を開く。
フランツはディアナのすぐ目の前に立っていた。

「それって・・おいおい、まじかよ・・」
ウェルスターは思わず漏らさずにいられなかった。

「え・・でもそれは・・伝・・」
アイザックも驚きのあまり口元に手をやる。

信じられないとばかりに目を見張って少女を見つめる二人の騎士に、
ディアナは大きく黒い瞳で見つめ返す。
≪みんな、知ってる・・?≫


「どうして、私の居たところを知ってるのですか?」
黒く大きな瞳が揺れて、フランツの薄青い瞳を見上げた。
じっと彼の言葉を待つように。


≪あ…≫ディアナははっとした。


≪まさか・・あの『約束』のため・・?
この人の瞳がなつかしいような気がしたのも。この知らない場所に私がいるのも・・まさか・・。≫

ディアナは自分がこの場所に飛ばされてきたのが何のためだかわかったような気がした。
≪でもまさか。。≫


そしてフランツもまた、見上げるディアナの瞳を見て、どうしてなつかしいような気になったのか、わかった気がしていた。
≪あの伝説。あれは、ただの作り話ではなかったのか・・するとこのディアナは、本当に私を救うために現れた女神だというのか・・?≫



☆☆☆


「落ち着いて話をしよう。」
3人は執務室の中央、腰掛けの長椅子に座ったディアナを囲むように顔を合わせている。

「ディアナ、まずきみの話をしておくれ。
きみのいた国、きみがここへ来た理由。きみがわかることをすべて。」

フランツはディアナの正面に立ち、彼女を見つめている。
その左右にウェルスター、アイザックが立っている。
3人とも真剣な表情で。

「わかりました。信じてもらえるのかわからないけれど・・。
私は、言われた通り、広い草原と苔のむした岩々が連なり、深く澄んだ湖が静かに横たわるところで暮らしていました。ずっとそこで暮らしていたので、他のところのことはよくわかりません。

私たちはそこで長い間、あるものを守るために暮らしていました。
それは、今はもう、あるのかどうかわからないくらい、誰も見た者はいないのですが・・

そして、そのあるものが昔、遠い昔、それを失う危機にあったとき、
異国の恰好をした騎士がその危機を救ってくれたことがあったそうです。

その時、私たちの祖先はその騎士に約束をしたそうです。
その騎士が危機に瀕したら、今度は私たちがそれを救いに行くと。

古い言い伝えで、誰もその真相を知る者はいませんでしたが・・
私はこうしてここに、見たこともないところに突然・・」
ディアナは瞳をあげた。


「もしかすると・・きっと、私はその約束のために、飛ばされてきたのかと思います・・たぶん。
これが夢でないのなら、それ以外考えられない・・きっと。皇子だという、あなたを救うために・・」
ディアナは薄青い瞳を見つめる。

「青い玉は代々その約束の印として受け継がれてきたものです。だから、
その玉によく似たあなたの瞳を、私はなつかしいような、知っていたような気がしているのかも・・しれません。」

肩からかぶっていたマントがずり落ち、痛々しい右腕が露わになった。

≪この少女が私を救う?≫
フランツは目を見張った。

さっきまで不安に震えていた少女が、今度は私を救うと言う。
唐突な出会い、確信もない伝説による約束。すべてが説明がつかない、疑わしさだらけだ。

だが、このなつかしさ、、それについては、フランツ自身も説明がつかないが感じられるところだった。


これまで誰かに守られるなど考えたことも願ったこともなかった。
それよりも、国も平和も国民も、守らなければならないものの方が多かった。

だが、何も持たないこの少女は突然出会った私を救うと?


フランツは手を伸ばして彼女の肩にマントを掛けなおした。
そのままディアナの目の前に片膝をついた。
ウェルスター、アイザックも皇子に続いて膝を折る。

「ディアナ、きみの祖先が代々守ってきたのは、青い竜だね?」

ディアナはこくん、とうなづいた。
フランツもゆっくりうなづいた。

「ただの作り話だと思っていたが、そうではなかったんだな・・。
ディアナ、このザンジュール国にも古い伝説があってね。

昔、この国の王が青い竜を救った話だ。その竜はお礼に王に約束をした。
この国の危機には再び現れて国を危機から救う、と。

その伝説には、竜は『草原と岩々が連なる、静かな湖の横たわる場所』に眠るとされている。
そしてその王は、竜が眠る場所に突然青い光に包まれて行ったそうだ。」
部屋に沈黙が響いた。

「きみには類似点が多いようだ。」
「しかし!」
ウェルスターが困惑の表情ながら口を開く。

「とはいっても、その伝説を知っているものなら、この国中にいます。
伝説を語って皇子に近づくことも可能でしょう。まぁ、その場合の目的はさっぱりわかりかねますが。」

「私もこのディアナの瞳にどこかなつかしいような気がした。ウェルスターも知っているだろう?」
フランツはウェルスターをちらりと見た。

ウェルスターは肩を上げて見せた。
「『伝説の娘』?有り得るのでしょうか・・?」
アイザックも難しい顔をしている。

「確証はない。伝説の話を始めたディアナ自身、この状況に混乱しているようだ。」
フランツはディアナの眉間に寄った皺に、とん、と指を触れた。


「わかっていることは、ブリミエルが何か企んでいること。
また企むかもしれないということ。

そして、私はこの娘に執心だということも奴に伝えてしまった。
やっきになってディアナのことも探ろうとするだろう。

巻き込んだのは私だ。ディアナの正体が納得しづらいものだとしても、今は
ディアナは私のそばにいるほうが安全だ。

お互いに知っていた伝説、これが本当かどうかは
すぐにわかるのではないか?」

「どういうことでしょうか?」
問うアイザックに、フランツはその場の全員を見ながら続けた。

「ディアナが伝説の通りであれば、私を守ってくれる『救い』のようだ。
そばに置くのも悪くないのではないか?

生憎、私は小さな少女に守ってもらいたいとは思わない、むしろ守りたいほうなので、
ねえ、ディアナ、すべてが落ち着いて安全だとわかるまで私のそばにいなさい。守ってあげよう。

かわいい娘がそばにいるのも悪くないだろう?」
フランツは口元をあげ、微笑を浮かべた。
他の三人は口をあんぐりとしてしまいそうだった。

「ウェルスター、もしディアナのことが危険な存在だとわかったら、
その時はおまえに任せる。ディアナ、気を付けるようにね。」
フランツはまた楽しそうに口元を緩めている。

「とは言っても、ウェルスターは副騎士団長の務めで常にディアナに張り付いているわけにはいかない。
アイザック、私が公務でいない間はディアナのそばで彼女を護衛してやってくれ。
公務のないときは私がそばにいるから問題はないはずだ。
ブリミエルもそうやすやすとは近づけないだろう。」

さっとすべてをまとめてしまった。
ぽかんとしているディアナ。

「フランツ皇子はおっしゃったことは実行される方ですからね。
しかたないですね、ディアナさん、これからしばらくよろしくお願いいたします。」
アイザックが甘いマスクを見せた。


目の前でまとまりかけようとしている雰囲気に、ウェルスターがうなり声を上げる。
どうもフランツ皇子は、この娘に出会った時からガードが下がりっぱなしのようだ。

この娘が、あるいは後ろで糸を引いている者がいたらどうするのか?
次期国王ともあろう皇子が念には念を入れて向かわなければ!
ウェルスターは鋭い目をディアナに向ける。

「この娘が皇子を陥れるため送られた刺客である可能性もあるのですよ?」
「それはないだろう?ブリミエルさえこの娘のことを知らないようだったぞ?」
「ですが、警戒しすぎて悪いことはないでしょう?!現に、皇子は何らかの者の罠にはまって危うくレデオン卿殺しの罪をかぶせられるところだったのですから!」
そこまで言って忠実なウェルスターはフランツ皇子と向かい合った。

「皇子、ウェルスターの過保護は今始まったことではありませんよ。」
アイザックが仲裁に入る。
「すべては皇子の為。たまに行き過ぎる心配も皇子とこの国の為です。
どうか、ウェルスターの心配もこの国のためと受け止めてください。

それから、これは私の見立てですが、ディアナは全く手練れのようには見られませんよ。」
でしょ?と二人の男を見比べるアイザック。

ウェルスターは渋々、フランツ皇子の提案を飲みこまされることになった。