はぁ、はぁ、はぁ、、、

いやーーー・・っっ!!!

声にならない叫びを喉にはりつけ、暗闇が迫る中、少女はやみくもに樹々のほうへと走っていた。

「生きたまま捕まえろー!」
「逃がすなーっ!」

複数の太い声が追いかけてくる。
髪を振り乱し、何度も足元をすくわれそうになりながらもディアナは逃げ惑う。足裏に冷たくぬかるんだ土と草の感触、時折草で切ったような鋭い痛み。
それでも止まることはできない。

どうして逃げているのか、なぜ逃げるのか、どこへ逃げて行こうとしているのか・・・
突然のわけのわからない恐怖。ただ、恐怖だけが足を前へと駆り立てる。

「森に入られる前に捕まえろ!傷つけるな・・!」
ウェルスターの声が響いた。この暗闇のなか森に入られては、城外には出られないにしても夜が明けるまでは捜索は困難なように思われた。
「弓を射るか・・」ウェルスターがつぶやいた途端、

ひゅんっ、後ろから空を切る音が響いた。

「うっ…!!」

ドスッ…!!

前方の少女が小さなうめき声とともにその足をもつれさせ、勢いそのまま前のめりになって倒れこんだ。

「ばかやろうっ!傷つけるなと言っただろう・・!」
傷をつけるなと言われていたのを、全体にもっと知らせておかなければならなかったと倒れた少女をみてウェルスターは顔を曇らせた。

矢がかすった右腕からじわじわとしびれが全身へめぐっていく。
意思と反して、身体から力が抜けていく。倒れこんだ少女は、恐怖でその顔が蒼白になっていた。
駆け寄ってきた兵士がその顔を松明で照らし出す。

「武器らしいものはありません!」
兵士が声を張り上げる。数人の兵士が少女を取り囲んだ。
兵士の固い掌がさっと少女の体をまさぐり、確認する。

少女は怖さでぎゅっと目を閉じようとする・・が、力の入らない身体は
目を閉じることもままならなかった。

5,6人の屈強な兵士たちが少女を囲んでいた。
少女のうつろな瞳からは涙が溢れている。
荒い息遣い、訓練を受けた者のようでもなかった。
毒矢がかすった右腕は、その傷口から鮮血を垂れ流している。


「誰かの手先か?何者だ?」
ディアナは声のするほうを見ようとする。
が、身体のしびれともうろうとしてくる頭とで、動くことができない。


ウェルスターは鋭いまなざしで少女を見つめる。
「兵士のようには見えませんね。ただの幼い少女のようです。」
ウェルスターの隣に立っていたアイザックが、膝を折り少女の髪に触れる。
少女の顔をのぞきこむ。やわらかな黒髪が美しいと思った。
「・・ふぅ、気を失ってしまったようです。」
手首に触れてその脈を確認する。
ウェルスターはじっと少女を見下ろしたまま兵たちに指示を出す。
「私の執務室に連れて行け。万が一のため、逃げられないよう縛りつけておけ。」
「はっ!」

「フランツ皇子は怪しい者だと思っていらっしゃらなかったようですが・・
何者でしょうか?」
アイザックが立ち上がり、ウェルスターに近づきながら言う。
アイザックは甘いマスクだが瞳には凛とした聡明な眼差しが宿っている。
騎士団の中でもアイザックの剣さばき、判断力はウェルスターに次いで優れていると言ってもよかった。

「裏で糸を引いている誰かがいると思われますか?」
「さあ、この娘自体が怪しいかどうかはわからんが。
レデオン卿が突然倒れ、その場には意見の相対することの多いフランツ皇子がいらした。
それらを好都合ととる者、あるいはわざと仕組んだ者が・・いないとは限らないだろう?」
アイザックはなるほど、とつぶやいた。

兵士たちが少女を縛りかつぎあげて行く。
「さきほど髪の中も確認しましたが、隠し持っているものはありませんでしたよ。恰好からして、ほんとに普通の娘のようです。レデオン卿の小間使いなのではありませんか?」
甘いマスクがウェルスターに向けられる。

ウェルスターは兵士たちが引き上げていく城へと視線を戻す。
短く黒い短髪に屈強な体格。腰には銀に輝く鞘に収まった長剣をさげている。
鞘の装飾がすばらしい。それはザンジュール騎士団、副団長により引き継がれてきた長剣だ。
そして騎士団長は代々国王が兼職している。今は国王からその職務をフランツ皇子が譲り受けていた。
それからしても、フランツ皇子が王位を継ぐのはもう間もなくかと思われている。

「私はフランツ皇子のところへ報告に行ってから執務室へ戻る。
アイザック、お前は先に私の執務室へ向かってくれ。あの娘から目を離さないように。」
「了解。」
ザンジュール騎士団、それはこの国を守る王室直属の騎士団である。
その副団長であるウェルスター卿は次期国王であり友である皇子を守ることを何よりも優先している。
それを守るためにはどんな些細なことでも、危険となりうるものは一掃しなければならない。


≪それにしても、ただの娘に用心しすぎか?
・・・いや、用心に越したことはない。≫
城へと踵を返すウェルスターはさらに気持ちを引き締めるのだった。