その晩、フランツは公務で遅くまで部屋に戻らなかった。
考え事をしていたディアナはいつの間にかうたた寝をしていたようで、扉が叩かれる音で目を覚ました。
すでに窓の外は闇が深いようだった。
「ディアナ、起きているかい?私だが、少し話をいいかな?」
寝間着姿だったディアナは慌てて何か上から羽織れるものを手に取った。
扉を開けると、やわらかな金色の髪がまぶしい。
その金色の髪をさらりと揺らし、ディアナの手の甲にそっと口づけをした。
皇子の自然な素振りに、馴れないディアナはどぎまぎしてしまう。
「寝ていたの?」明かりの消された部屋をちらりと見やり、フランツ皇子がいう。
ほのかなお酒の香りと、フランツのいつもとは違う潤んだ瞳。その瞳はなんだか妖艶な色気を放つようで・・
ディアナは皇子の香りに包まれて身体の奥がきゅん、と反応するようだった。
「・・少し、うたた寝していたみたいで。」
「・・・・・。」
「フランツ皇子、どうかされたのですか?」
無言で見つめられ、ディアナはどうしたらいいかわからず、言葉を発した。
フランツの瞳が花が咲くようにほころんで、笑みがこぼれる。
「ただディアナの瞳が見たくなって。」
「な、なにを…。」
一気に熱くなった顔を隠したくて、頬に当てようとした手を、フランツ皇子がすっと握り放さない。
仕方なく、ディアナは空いているもう一方の手だけで顔を隠す形になる。
「きみの瞳は私にどこかなつかしいと思わせる力があるんだよ。
それは安らぎをあたえてくれる・・まるでね。」
ディアナは耳まで燃えるように熱くなっていた。
女性への扱いが上手いようなのは、この国の男性みんななのだろうか。
だとしたら、フランツ皇子はきっと特にそうなんだ、とディアナは思った。
出会ったときからフランツ皇子は、何かにつけてディアナをかまってくれるので恥ずかしかったり、どきどきしてしまったり。。ディアナは困ってしまうことが多い。
救いに来たはずが、皇子のペースに巻き込まれているだけみたいだった。
アイザック様も甘いマスクでさらっと恥ずかしいことを、なんでもないことのように言われるけれど、それでも皇子ほど何かにつけて触ったり口づけをしたりということはない。
だから胸のどきどきは抑えられるほうだ。
ウェルスター様は全くそういうことは口にされない。
ウェルスター様の私を見る目は特別に・・厳しい。
そうだ、むしろ、フランツ皇子が私を受け入れてくれていることの方が驚きで、とてもありがたいことなんだ。
もし、逆だったら、逆の立場だったら、私は私のような人を疑うことなく受け入れて守ってあげられるだろうか・・?
沸いてきた自問の念に、フランツの瞳を見上げる。
甘く揺れる瞳が注がれていて、ディアナはまたぱっと顔を隠してしまった。
≪皇子はもしかするとこういう言い方に慣れているのかもしれないけれど・・≫
ディアナは目の前に迫った皇子の瞳を、とてもそれ以上は直視できそうになかった。
「瞳を隠さないで。」
≪そんなこと言ったって・・≫
もう一方の手も掴まれ、そっと下ろされる。
薄青いその瞳に見つめられて、視線をそらすこともできなくなる。
吐息が熱くなる。顔が火を噴きそうなほど熱い。。
フランツがくすっと笑う。
「どうしてだろう、ディアナの瞳をみているだけで・・私は・・」
「な、なつ、、なつかしいのですね。」
「きみを離したくなくなってしまう。」
皇子の手がふとディアナの右腕にうつる。
羽織った布の上から傷のあたりを避け、そっと触れる。
「傷はまだ痛む?」
「いいえ、もう!深い傷ではなかったので。毎日マレーさんがお薬も塗ってくれているし、大分よくなりました!」答える声に思わず力が入ってしまっている。
「それはよかった。」
そっと右腕をなでるフランツ。
「明日の昼、食事会をすることになった。」
甘かった瞳がすっと現実に戻るように揺らめきをおさえていく。
「レデオン卿の体調が戻ったので、その祝いもかねて開かれることになった。
ディアナも同席してほしい。」
「私が?私が公務に同席して・・皇子のご迷惑にならないのですか?」
ディアナは首を傾げて言った。この国の何も知らない異端者なのだから、人前に出ることに躊躇した。
「この会の発案者はブリミエル卿だ。
私に『あの時一緒にいた美姫も』と、ディアナのことをわざわざ指名してきた。
何か企みがあってのことかもしれないが、きみと一緒にいたことを公にしなければ、
私はあの場に一人ではなかったという証明ができない。
どんな企みがあるにせよ、私が守って見せる。」
フランツの瞳が光った。
「一緒に来てくれるね?」
皇子のやわらかく熱いまなざしが降り注ぐ。
「はい。それで皇子の役に立てるのなら。」
≪この人はいつも守ってくれるようとする。。私が守らなきゃいけないのに。。
いいえ、私が皇子を守るの。そのために来たのだから。≫
つん、眉間に皇子の指が優しく触れた。
「難しい顔をしているよ。」
「っ!」
「笑っていておくれ。ディアナを守るのは私の役目だ。大丈夫。恐い思いはさせない。」
ふわりと金色の髪が私の視界を遮って、、額にやわらかな唇の感触が降りてきた。
「っ!!」
「おやすみ、ディアナ。よい夢を。」
パタン、と扉が閉じられた。。。
ディアナはとても眠れそうになかった。。。
やっぱりその夜はなかなか眠れなかった。
皇子のやさしい唇の感触、そのまなざしが頭から離れず、胸が高鳴ったり、
『救い』という自分の『役目』はどこで果たせるのだろうと考えて、目が冴えてしまったり。。
・・・そして、そのまま夜が明けてしまった。。。
「まあ、ディアナ様、とても可愛らしいですわ!」
昼食会のため、朝からマレーさんによる身支度が進められていた。
「なんだか、、やっぱり少し、肩のあたりが出すぎてるような・・」
ディアナはすーすーする肩に手をあて、鏡に映る自分につぶやいた。
鏡の中には、それまでとは全く違う装いの自分がいた。
マレーがにこにこと満面の笑みで応える。
「そんなことありませんよー。とんでもない!もっとご自身のラインを強調して
注目を得ようとされる方々もたくさんいらっしゃいますのよ。」
ディアナは肩がぱっくり空いた、うすピンク色のドレスを着ていた。
それは幾重にもベールを重ねたような、花がひらいたように美しいドレスだった。
気恥ずかしさとともに、マレーが喜んでくれているのが嬉しいような気もしていた。
「ん・・でも、やっぱり何か羽織れるものがあれば・・」
マレーはそんなディアナの言葉には取り合わず、にこにこと他の準備に忙しそうに動き回っている。
初めてのドレス、普段のすとんとした服とはまったく違う恰好に緊張しているディアナ。
手に触れる布がとても薄く、やわらかで、頼りない。
「そうですわね・・」
マレーが思いついた顔でディアナに寄る。
「隠すとしたら、その腕の傷口のほうは、何かで目立たなくできればいいかもしれないですわね。」
右腕の傷はだいぶ良くなっていた。けれど、すっと大きく入った傷口は、その跡をしっかりと残している。
「そうですわ!いい考えがありますわ♪」
マレーは羽織りものは渡さなかったが、傷口を隠すのに、美しく部屋を飾っていた花々と布、アクセサリーで腕を覆ってくれた。それはまるで花の腕輪のように、右肩を彩ってくれた。
ディアナは鏡を見た。
鏡のなか、まるでそこだけ春が来たような、ピンク色の花がふわっとそこに咲いたような姿が映っていた。
だんだんと色を重ねるうすピンク色のドレスは、色味に変化が見えて美しい。右腕からは花の香りが広がってくる。
鏡にそっと触れる。。
「きれいだよ。まるで花の精のようだ。」
急に声がかかってびっくりして振り返る。
声の主はわかっているのだけれど。
フランツ皇子の姿がそこにあった。やさしく微笑んでいる。ドアに寄りかかり、こちらを見ている。
いつからいたのだろう。顔が熱くなる。
「マレーが支度が整ったと教えてくれてね。」
まっすぐディアナの前に歩み寄ってくるフランツは、今日は純白のマントを肩に羽織り、正装しているようだった。腰には剣をさし、その腰の位置がとても高い。
ディアナの胸がまたとくん、と音をたてた。
「お姫さま、お迎えにあがりました。」
すっと差し出された手のひら。
「お・・お姫さまって・・っ」
にっこりとほほ笑むフランツ。
「今まさに咲いた、花の精のようだよ、ほんとうに。
私のもとへ降りたった花のお姫さま、お手をどうぞ。」
もう耳まで真っ赤になって心臓があばれて、息がしづらいくらいなディアナだった。
頭がパニックを起こしそうなディアナの手を、フランツはさっととり、手の甲に唇をつけた。
そっと触れるような、やさしいくちづけをした。
「その花輪もとても似合っているよ。素敵だ。」
花の腕輪がディアナの白く透き通るような腕を
華やかに彩っている。
ほんのり赤く染まった頬、ふわっと香ってくる花の香り。
≪この子は、この昼食会でいやでも注目を浴びそうだ。
私の寵愛を受ける者というだけでも注目されるだろうに、
この花のような可憐さでは。周りが放っておかないだろう。≫
「マレーさんが、傷がみえないようにしてくれたんです。
皇子の大切な会で、大きな傷がぱっくりだと変な目で見られたらいけないから。」
「傷つけたこと、ほんとうにすまなかった。」
「あ、そんなつもりで言ったんじゃなくて・・」
「傷つけるつもりではなかったが、結果、そうなってしまったのは事実だ。」
「もう痛くないのよ。一応、見えない方がいいかな・・ってだけだから!」
私は右腕を動かしてなんでもないと笑顔を見せた。
皇子が切なそうな瞳をするから。
「こうして、、保護してくれて、信じてくれて、それだけでほんとうにありがたいことだと思ってるの。」
「ありがとう。もう誰にも傷つけさせたりしない。」
ディアナの胸がとくん、となってしまう。
「皇子は、・・私のこと、疑ったりしないのですか?」
思っていたことが口をついて出た。
皇子の口元がふっと上がるのが見えた。
「ディアナの身元調査は、ウェルスターが躍起になって進めているよ。
預かった首飾りについても詳しいものに調べさせている。
もし何か手がかりでもあれば、ウェルスターが飛んで知らせてくるだろう。
まだ今のところ、きみの故郷だとか探し人できみと特徴の似た娘がいたとの報告は
あがってきていないようだ。まだ何も手がかりがないらしい。」
皇子はそっとディアナの手をひいて扉のほうへと足を向ける。
手をひかれ隣に歩むと、まるで皇子の香りが降ってくるように感じた。
「私には、幼い頃から敵対する勢力、この国を陥れようとする勢力が常にあった。私は、私を陥れようとするものを許さない。私は皇子だ。王位継承第一位という立場もある。立場や環境のためということもあるが、そう簡単に人をそばに置いたり、心を許したことはこれまでにない。」
隣にいるディアナが目を丸くしている。
いつもほほえみを向けてくれているフランツがそんな風だとは思いもしなかったからだった。
扉の前でフランツが足を止めた。
「だが。ディアナ、君はこれまでの誰とも違う。きみの瞳を見たとき、私は何かを感じたんだ。それだけは確かだ。」
皇子の話しに聞き入っていたディアナは胸がきゅんとなった。
扉が開かれた。
「これはディアナ様・・とてもよくお似合いで・・。」
ディアナの花のような姿にアイザックも目を丸くしていた。
あまり会う機会のなかったウェルスターも一瞬目を止めていた。
だがすぐにフランツのほうへと歩みを進めていった。
ウェルスターは躍起になってディアナについての捜査をしているという、それらや職務で忙しいのだろう。
ディアナが皇子の隣に部屋を用意されて以降、会うのはこれが初めてだった。
マレーは『いつもそうしてくださったら本当にいいですのに』と笑顔でディアナに進言しながら執務室を出て行った。
これから昼食会についての打ち合わせをするという。
皇子の執務室には、4人が集まった。
フランツは4人だけになると、堅苦しさをとっぱらい、それぞれ適当に座るよう促した。
「ディアナ、おいで。」
フランツは長椅子に座る自分の隣のスペースに、ディアナを呼んだ。
「これからの会だが、レデオン卿には私とウェルスターからすでにディアナの話をしてある。」
「何と伝えられたのですか?」
「そのままだ。伝説の青き竜の者が私を救いにやってきたと言った。卿は受け入れてくれたよ。驚いていたけれどね。」
フランツの横でディアナは驚いていた。
フランツ以外にもこの話をすぐに受け入れられる人がいたということに。
それを見てフランツがくすっと笑う。
「当の本人がそんなに驚いていては、嘘なのかと疑ってしまいたくなるけど、いいのかい?」
ディアナはぶんぶん、大きく首を横に振った。
「レデオン卿にそのお嬢ちゃんが救いかもしれないと言ったのには理由がある。その①、残念なことだが、そのお嬢ちゃんの素性について確たる証拠がいまだに何一つ挙がっていないこと。伝説の救いというのが本当なのか、どこかの手先ってのが本当なのか、どっちの証拠もまだない。」
4人だけになったウェルスターは語調をくだけたものに変えた。
「その②、首飾りについてはザンジュールでは見当もつかない材質らしい、とわかったこと。
その③、今回の会にお嬢ちゃんの出席を是非にもとりつけようとしたのはブリミエル卿だということ。何としてもお嬢ちゃんの存在を確認しようと躍起になっている。ということは、奴の手先ではないのかもしれない。」
お嬢ちゃん、と繰り返す言葉にはとげがあった。ディアナを信じてはいないということからくるのだろう。
ウェルスターの性格をよく知るアイザックは苦笑している。
フランツは表情を変えない。
「はっきりしないことばかりだが、1つはっきりしていることがある。その④、我々は皇子を守り、この国を守らなければならないということだ。その点で、レデオン卿はそのお嬢ちゃんを『救い』として受けいれる理解を示してくれたわけだ。万一、もし、伝説の・・ってことが本当だとしたら、まぁ、こちらにとっても不利ではないしな。」
最後の万一、のところでウェルスターは特に力を入れた。
ウェルスターの言葉から、あまりに信用されていないことが胸に刺さるけれど、証拠もなく信じろというのは難しい話だとディアナも理解できたので、黙って話を聞いていた。
フランツが口を開いた。
「レデオン卿に盛られた毒は、まだ何の毒かわかっていない。
今回も何か仕掛けてくるかもしれない。食事に毒を盛られる可能性もあるので
今回は誰もが自由に選んで食べられるよう立食パーティーにした。
ブリミエルにとって死なれては困る相手もいるはずだ、その者たちまで
危うくなるようなことはしないだろう。
ブリミエルは必ずディアナに接近してくるはず。
私がそばにいるようにしたいが、客人のいる手前、そうできない場合もあるだろう。
その場合はアイザックがディアナのそばにいて気をつけておいてくれ。」
「かしこまりました。」
「ディアナ、私かアイザックからの食事以外、受け取らないように。いいね?」
ディアナはこくり、とうなずいた。
緊張で、握りしめた手のひらが汗ばんでいるようだった。
「ディアナ様、あまりご心配なさらずに。」
アイザックがやさしく声をかけてくれた。
「・・はい。」
声が緊張で震えていた。
「あの夜のことから考えれば当然だが、ディアナは私の溺愛する姫として出席する。」
「・・?!」
ディアナは絶句した。目を丸めてフランツの顔を見た。
「驚くことはないだろう?この間は状況が状況だったからだが、ブリミエルにそう話してしまっている。」
≪で、、溺愛って・・?!≫
「私のそばにいれば問題はない。」
はっきりと断言するフランツ。
≪問題・・大ありじゃない??!!≫
目を丸めたままのディアナに、アイザックが苦笑している。
あの夜、あの時はまさかこんな風に話が進んでいくなんて全く思っていなかったディアナだった。
まさか自分が『救い』としてそばにいようと思うことが、皇子の恋人役になるとか、溺愛される姫がどうのとか、そういう話になるとは全く考えてもいなかった。
皇子の溺愛する姫、という設定に驚いているのはディアナだけだった。
ウェルスターは何とも言えない表情をしている。
むしろ『もうここまで来ているのに何を今さら』と言いたげな・・。
「大丈夫ですよ、しっかり、お役目お努めくださいね。」
アイザックが意味深にほほ笑む。
この役目、なんだかとんでもないことになってるみたい・・ディアナは目の前の3人を繰り返し見つめていた。
華やかな音楽、見たこともない豪勢な料理の数々。
明るい日の光がいっぱい差し込む大きなホールで昼食会は開かれた。
繊細な彫刻が施された白い壁、磨きこまれた床と高い天井、優雅な曲線を取り入れ造られた室内。
至るところにゆったりとしたソファや椅子が置かれている。
フランツにエスコートされ一歩踏み入れたその室内の豪華さに、ディアナは感嘆の息をもらした。
一斉に室内にいた人々の視線がフランツのほうに向けられた。
目の前に立っているこの人は『皇子』なんだと、ディアナは感じさせられずにいられなかった。
そこに集まった誰もが立派そうな格好をしていた。美しく魅力的に着飾った女性も多かった。
フランツがホールを進もうとすると、周囲から掛けられる声の多さに、なかなか奥にしつらえられた王族席にたどり着けなかった。あいさつを交わしつつゆっくりと進む。
そのうち、とても女性らしい体つきにぴったりとしたドレスの女性がフランツのそばへ寄り、何事か話しかけていた。フランツの後ろから続いていたディアナは、その露わで大胆なドレスに目を見張った。
マレーの言っていた「(ディアナのドレスの肩だし程度は)ちっとも大胆ではない」という言葉がよみがえった。
すると、またその他にも魅力的な女性が近づいてくるのだった。フランツは、あっと言う間に女性たちにも囲まれてしまっている。
「人気があるのね・・」
「大丈夫ですよ。」
ディアナが何となく漏らしていた言葉も隣にいたアイザックには聞こえてしまっていた。
「え?何のことですか?」
「皇子が女性に微笑んでお話されるなんて、今までなかったことです。少なくとも私は見たことがなかった。」
何のことかとアイザックを見て眉根を寄せる。
アイザックが皇子のほうを見るように、と目配せする。
フランツは、話しかける女性に少し何かうなづいて見せたかと思うと、すぐその場を後にした。残された女性たちのフランツを追いかける視線。こちらへ戻ってくる皇子と目が合った。うす青い瞳がほころぶ。
とくん、心の奥でまた音がする。
「皇子の滅多に見せないはずの笑顔を、あなたは出会った時からずっと見ていらっしゃるんですよ。」
『え?・・滅多にない笑顔・・・』
とくん、とくん、、、
戻ってくる皇子の瞳から目が反らせなかった。
「ディアナ?どうしたんだい?顔が赤いようだが。」
すっと皇子の指が頬に触れる。
「え、そ・・そう?・・」
「突然のパーティーだからね。無理もない。あちらに座ろう。」
王族席へと急ぐ。
ホールの奥、少し高くなったところに毛足が長く豪華な敷物が敷かれ、ゆったりとした白いソファとたっぷりのクッションが置かれていた。
フランツはそこへディアナを座らせた。
「フランツ皇子、私は大丈夫、他の方々とお話しに行かれた方がいいのじゃなくて?」
公務や食事会、ほんの何気ない会話にも、交渉や勢力争いにおいてとても重要な機会が含まれているのだと、会の前にアイザックから聞いていた。
《王族の人って、休まるところがなさそう・・》
なのに、フランツは離れるどころか、隣に腰を下ろしてしまった。
「今日の私の役目は、ディアナ、きみを守ることだよ。そばを離れないさ。」
皇子の手がディアナの手を自分のひざの上に乗せる。ディアナの小さな手にフランツの温もりが伝わってくる。
ディアナはただただ目をぱちくりとさせていた。
≪『役目』を忘れてしまいそうなくらい心臓がばくばくしてくらくらしてしまいそう。
どうしてフランツ皇子は役にこんなにも徹底することができるの??≫
ディアナは自分を見つめるフランツの視線から逃れようと横を向いた。
すると、ホールからの女性たちの厳しい視線とぶつかった。
こちらをちらちらと見ている。明らかに不機嫌そうな表情をしている女性も多く見えた。
『皇子の恋人役』はとても大変そうだと改めて感じずにいられなかった。
その視線があまりに痛くて、ディアナが顔を王族席の内側へと戻した時だった。
「ディアナ、とうとう来たようだよ。」
フランツがそっとディアナの肩を抱いて合図した。
≪しっかりしなきゃ!≫
ディアナは自分に活を入れた。
「フランツ皇子、そちらがお噂の、皇子が溺愛されているという姫君ですかな?あの晩の??
今日は、ぜひ私にもご紹介いただきたいのですが・・」
あの夜、皇子の胸に抱きすくめられ、背中越しに聞いたその声だった。
「ブリミエル卿、こちらは私の異国の友人の遠縁にあたるリネ姫だ。」
皇子は事前に話していた通り、『リネ』という偽名でディアナを呼んだ。
万が一のことを考え、実名ではない方がいいだろうということだった。
ブリミエル卿は油っぽい頭をてかてかさせつつ、一礼をしてみせた。
立ち上がるのがいいかと腰を浮かせかけたディアナを、フランツは手を握ったまま、そのままでいることを暗に示した。
「リネ、宰相補佐のブリミエル卿だ。」
顔を上げる際、ブリミエル卿はディアナのことを隅々まで探ろうとするかのようにいやらしい視線を走らせた。
「とてもお可愛らしい姫君ですな。いやあ、そこだけ花が咲いたような。」
大きな太鼓腹を揺らして笑うブリミエル卿。
「先日はそのお姿、お目にかかれず残念でございました。こちらを向いていらっしゃらなかったので、ましてや被り物をされていたご様子、本当にリネ様だったのかどうか・・いえ、突然あのような場面に合われてさぞリネ様も驚かれたことでしょう?」
ブリミエルのねちっこく、探るような声は、疑惑の念をディアナに向けていた。
あの場にいたのは本当にこの娘なのか、と言いたげだった。
あの夜、背後で聞いたブリミエル卿の野太い声、この声でディアナはあの夜のことを思い出し背筋がぞくりとするのを感じた。
≪ディアナに探りを入れているな、、そうはさせない。≫
「リネ、、」
フランツがディアナに向き直ろうとしたときだった。
やわらかな黒髪がそっとフランツの胸に寄せられた。
「皇子様。あの時のこと、、とても怖かったです・・今でも思い出すと私・・」
ディアナはフランツの胸に頭をもたせかけた。手はそっと、皇子の胸元につくか、つかないかくらいで置かれていた。はたからみれば、ディアナがさも皇子の胸に抱きつくような恰好になっていた。
ディアナの心臓は今にも飛び出しそうなほどバクバク音を立てていた。
≪皇子を守らなきゃ。どうか、どうかばれませんように・・≫
一瞬の間があって(ディアナにはもっと長く感じたけれど)、フランツがその胸に寄り添うディアナをやさしく包むように腕を回した。
「かわいい人、もう大丈夫だから、どうか心を痛めないで。」
フランツにはディアナの胸の内がみえるようだった。
ブリミエルからもホールの大勢からも見えないように顔をそらし、顔を真っ赤にして両目を強く閉じているディアナ。私の胸に頼りきることもせず、小さく震える肩で恋人役を貫こうとするディアナ。
フランツの胸に遠慮がちに添えられた手は、かろうじて寄り添うかどうか程だった。
小さく震えるこの少女は本当に私を守ろうとしてくれている。
頼ればいいものを。。
≪・・愛おしい・・・≫
何故だか、そう自分の声がするような気がした。。
「ブリミエル卿、リネはあの夜のことで今もとても胸を痛めている。
レデオン卿が倒れた時のこと、まだ忘れられないでいるのだよ。
もう二度と、その話で私の愛しい姫を苦しめないでいただこう。」
フランツはディアナを抱きしめたまま、きっぱりとブリミエルに告げた。
その声は、強く抱きしめるフランツの胸からディアナに響いた。
ホールの客たちの間でざわめきが大きくなる。
「これは、大変申し訳ないことを・・さようでございましょう。
ええ、大変驚かれたこと、お察し申し上げます・・。」
ブリミエルは煮えくり返る胸の内を押さえ、静かに言葉をつないだ。
「卿に私とレデオン卿が二人きりだったと嘘を告げた者たちは見つかったかな?」
「それですが、どうやら姿を消してしまったようで、全く行方が掴めないのでございます。」
大方、かくまっているか殺したか、どちらかだろうに、ブリミエルはしれっと答えた。
「そうか、後ろで操っているのが誰なのか、あぶりだしてやりたかったが・・残念だ。」
フランツ皇子の冷たい声に、ブリミエル卿は背中がぞくりとするのを感じた。
「で、では私はこれで。。失礼いたしましょう。」
ブリミエルはこの場を早々に辞した方がよいと判断した。
後ずさりながらブリミエルはほくそえみたくなるのを必死で抑えた。
≪皇子に溺愛する姫が現れた・・≫
≪この、氷のお面のような皇子に、溺愛する姫が現れたとは・・。≫
≪リネ姫を亡き者にしてしまえば・・≫
単純だが、皇子が痛手を受けるのは必至だろうと思われた。
隠しきれないその不気味な笑みを、アイザックは見逃さなかった。
「これはブリミエル卿、フランツ皇子へのご挨拶はもう済まされたのかな?」
ホールへ向かおうと振り返ったブリミエル卿の前に、大きな人物が立ちふさがった。
頭上からの声に顔を上げるブリミエル。
「・・これはレデオン卿、お加減は大分よろしいようですな。」
宰相レデオン卿だった。
「ええ、すっかり。あの夜のことは伺っております。非常に卿の対応が早かったと。それにしても、随分早く情報を握られていたようですな。毒のことまで・・。」
レデオン卿は言葉を切り、じっとブリミエル卿を見つめている。
その鋭い瞳にブリミエル卿は全身から汗が湧き出るようだった。
≪ぇぇぃ、、忌々しい・・!!≫
「な、なんの、、私はあの時たまたま貴殿が倒れたという話を聞きつけて、
駆け付けたまで。それを、妙な詮索は全く心外ですな!」
「さようでしたか・・」含みをもたせたままレデオンは言葉を区切る。
「では、私も皇子と姫君に先日のお詫びをお伝えしたいので、これで。」
フランツはその様子を王族席から見ていた。
「ディアナ、レデオン卿を紹介しよう。私が信を置く、またとない頼もしい男だよ。」
そういうとフランツはディアナをそっと支え立ち上がらせた。
その瞳からレデオン卿の回復を本当に喜んでいるのが見てとれた。
レデオン卿が王族席のほうへ近づいてくる。
アイザックと、ウェルスターもその視線をレデオン卿に向ける。
彼らもまた、レデオン卿を慕っている者のひとりだった。
レデオン卿は遠くでもわかるほど、周囲より頭ひとつ分高い長身の持ち主だ。
頑固そうな強面に、いかり上がった眉がさらにその存在を大きく、強く見せている。
アイザックが道を開けた。
「皇子様、リネ姫様、レデオンでございます。先日の失態、大変失礼いたしましたこと、お詫びに参りました。」
頭を下げそう告げるレデオン卿の声は、外見からの印象とは違い、穏やかに響くものだった。
「レデオン卿、こちらへ。」
フランツの言葉に、アイザックが道を開ける。
「レデオン卿、こちらがリネ姫だ。」
「リネ姫、先日は失礼致しました。」
レデオン卿はフランツの隣に並んだ花のような少女をじっと見つめた。
「私のほうは回復致しましたので、どうぞお心を休めてくださいますように。」
フランツ皇子から伝説の救いだと聞いている。同時に何ら確信がない話だとも。
だが、少女には青い玉があったという。
それが何よりの証拠ではないかと思われ、レデオンはこうしてその『救い』に直接会いに来てみたのだった。
ディアナは、自分が『役』だと知っているレデオン卿に、この場でどう返したらいいのかわからなかった。
両手を胸にあて、小さく膝を折ってあいさつをした。
レデオンはそれを見ると、片手を胸にあて、頭を下げてディアナに応じた。
「先日の首飾りは大変すばらしかったです。
あなた様の祖国はとても素晴らしい国なのでしょうね。
どうぞ、皇子様のおそばでお守りくださいますように。」
そういうと、皇子にあいさつをし、ホールへと降りて行ってしまった。
ディアナはあまりにあっさり行ってしまったレデオンにあっけにとられた。
しかし、そのレデオンの態度に興味の沸いたようなまなざしでレデオン卿の後を目で追っていた。
≪なんて素敵なんだろう・・≫
言葉は少ないけれど、すべてを理解しているような含みを込めていて・・。
「リネ姫。」
くるり、と身体がフランツのほうへ回された。
「はい。」思わず返事をするディアナ。
「宰相は妻子持ちだ。それにもうすぐ孫も生まれる。彼はダメだよ。」
「…!そ、そんなつもりでは…!」
どうしてそんな話になるのかとあっけにとられ、言い返そうとすると、
フランツの瞳がゆるみ、いたずらっぽく光るのが見えた。
「きみは私のなんだからね。リネ姫。」
額にフランツ皇子の唇が触れた。
また背後でざわつきが広がった。
逃げようにも、ここは人の目が多すぎる。
皇子の胸に抱きすくめられた状態から、なんとか抜け出そうとするが、
この胸の内はびくともしない。ぎゅっと痛いほど力を込められているわけじゃないのにほどけない。
頬を染めたディアナが自分の腕の中にいる。
仕方ない風ではあるが、尚更そんなディアナが可愛くて、フランツはもう少しこのいじわるを続けたくなった。
腕を解かない、それだけなのにディアナの顔はさらに紅さを増していく。
私の胸を叩いて離せと言っている白い手。抱きしめればふわっと広がる花の香りが、余計に抱きしめていたくさせる。
ディアナは自分がこんなにも男を魅了していることを知らないのだろう。
他の男に触れさせでもしたら・・
そっときれいな指がディアナのあごの下に添えられた。
上を向かせられる。
フランツのきれいな唇が開かれる。
「私だけを見ていて。」
ディアナの心臓が早鐘を打つように早くなる。
その状況を解いてくれたのは、フランツに挨拶をと集まる客人たちだった。
フランツはしようがなく、ディアナを囲っていた腕をやっと解いた。
ディアナをソファに座らせると、アイザックに飲み物を持つよう伝える。
ディアナはまだ頭がぼうっとしているようだった。
「…様、リネ姫様。」
何度か呼ばれていたようなのにはっとする。アイザックがそばに片膝をつけて呼びかけていた。
「リネ姫様、難しいお顔をされておられますよ。」
小声でそうささやくと自分の眉間にそっと手を当てて見せた。
≪あ、いけない、いけない、、≫
ディアナは目をつぶり、胸元に両手をあてた。
いつもそこに感じられていた青い玉の存在を、今はないけれどそれを思いだしながら深く呼吸をひとつしてみる。
いつもそれを手に持って目を閉じると、不思議なことに気持ちが休まるようだったから。
それは今では癖になっていた。
「もう、大丈夫です。」
にこりとして見せた。
「フランツ皇子のご愛情がお深いようですね。」
アイザックがさらっと言ったひと言に、ディアナはまた思い出して
耳まで赤くなってしまうのだった。
ピンクに身体を染め、ほんのりどこかから香る花の香り。
≪おや…。≫
アイザックも何かを感じずにはいられなかった。
≪なるほど、皇子のご執心が今わかるような気がしますね。
皇子は本当に偽りのお相手役で留められるのでしょうかね。。≫
「まあ、、そんなに!!…」
マレーが息を飲み、歓喜の声をあげる。
愉しそうに話すアイザックの声とマレーの感嘆する声がディアナの部屋を占領している。
ディアナはといえば、ドレスから解放され、ゆったりとした服に着替えている。
緊張の連続だった昼食会から解放され、頭も身体も放心しているようにぐったりと長椅子にのびている。
「ぜひ姫様とお近づきになりたい、と私に言っていらっしゃる男性の多かったこと!やんわりお断りするのが大変でしたよ。」
二人は盛り上がりをつづけている。
あまりに疲れすぎていて、ディアナの耳にはそれらは全く入ってこないようだった。
≪なんだろう、これ・・身体も頭もぴりぴりしびれるみたい。。にぶいし、重い。。緊張してたけど・・そんなにつかれたのかな・・私。。≫
「まあ、ディアナ様。よほどお疲れになられたんですね。お可哀そうに。」
「疲れを取るために少しお酒など召し上がれば、ほぐれるのではないですか?」
「そうですわね、寝酒を召し上がるのもよろしいですわね。」
アイザックの提案にマレーは『すぐ持ってまいりますわ』と言うや否や、ぱたぱたと部屋を後にした。
アイザックは少し離れた椅子に腰かけ、ディアナを見守る。
もしも彼女が長椅子から崩れ落ちそうになったらすぐ支えられるよう、目は離さずにいる。
≪それにしても、フランツ皇子がこれほどまでに優しく女性に接される方だとは思いませんでしたよ。≫
アイザックは目をやさしく細めた。
ウェルスターは何としてでもディアナの何かを探し出そうとしているけれど、それでさえ、探し出せなければ、ディアナが異世界(?)から来た救いだと認めざるを得ない裏付けになる。
この少女に出会って、フランツ皇子は変わられた。
ディアナを見つめるあたたかい眼差し、差し伸べる手、掛けられるひと言。
それらは人間らしくて、とてもよいことだと、友としての私は思っている。
皇子の側近としての意見は、それとは異なるけれど。
けれど、せめてまだ、今くらいは。。
いいんじゃないかと、見守っていたくなる。。
コンコン、マレーが盆を提げて戻ってきた。
「ホットミルクに少しお酒を入れてきましたわ。これでゆっくりお休みになれますわ。」
夜が更けていた。。
フランツは自室から続く執務室でいくつか急を要する書類に目を通しているところだった。純白の寝着に濃い藍色のガウンを肩から羽織り、書類に目を走らせる。
最近、北方に隣するシラー国の兵士たちが好戦的で国境を越えようとする動きもみられる、と国境警護に赴いているエイロス卿から書面が届いている。
父王は今、フランツにその王位を譲渡するため、国王が担うべき公務を代行させるようになっていた。
王の交代も間近かと巷では噂されている。この時期に国境で勢力争いを仕掛けてくるのは考えられることだった。
そして、国内にも敵対勢力はいつの王の時代にもあった。フランツに対するそれもしかりだった。
身体が弱く、辺境の地で療養している第2皇子、フランツの弟皇子を王に立て
自分たちが権力を得ようと企む貴族たちがいるのだ。
ブリミエル卿がそのひとりだった。
国外、国内、いつでもこの国の変動を見つめ隙あらばつけこもうと、常に狙っている者たちがいる。。
フランツはエイロス卿からの書類を机にもどした。
ひといき、琥珀色の液体をのどに流し込む。
ふと、昼間の花の精のようなディアナの姿を思い出した。
≪ディアナは、もう寝ただろうか?≫
ディアナのことを思うだけで、気持ちがやわらかくなるようだった。
寝ているだろうか?でも、少しなら・・
ディアナの顔がみたくなった。
フランツは沐浴で濡れた髪をかきあげると、席をたった。
ガチャリ、フランツが廊下に出ると、隣のディアナの部屋の下からはまだ光が煌々と漏れていた。
≪こんな夜更けに?眠れないのだろうか?≫
「フランツ皇子!」
扉が開かれたことに気付いたアイザックが声をあげた。
マレーも振り向いた。困ったようなマレーの表情に何かあるのだと感じる。
「こんな時間に何をしている?」
部屋に足をいれると、二人の向こう側、長椅子の上に横たわった白い足が見えた。
「ディアナ…?!」
フランツは長椅子に駆け寄った。
そこに横たわるディアナは、顔色が赤く、ぐったりとしている。
頬を触ると少し熱を帯びているように熱い。
「これはどういうことだ?ディアナに何があった?!」
≪まさか毒では…≫
フランツの青くなっていく顔にアイザックが答えた。
「フランツ皇子、ディアナ様は明日にはよくなられるかと存じます。」
「・・どういうことだ?」
フランツの顔が曇る。
「ディアナ様は・・・酔っておられるのです。」
困惑の表情を見せるアイザック。
「正確には、ディアナ様のお疲れを癒すためホットミルクにお酒を少々入れてご用意したところ、このように、、酔われてしまったのです。」
フランツはディアナのそばに腰を下ろした。
「ディアナ様がお酒が全く合わない方だとは知らずに私が・・・」マレーがおろおろしている。
「提案したのは私です。私も同じです。」
「侍医には診せたのか?」
フランツはどっと気が抜けた顔をしている。
「はい、診せましたが、やはり酔っているだけとのことでした。」
「そのまま眠ってしまわれているので、私だけでは寝室へお連れできず、
アイザック様にお手伝いをお願いしたところだったのです。」
「寝ているだけ?」
すー、すー、、と小さな寝息を立て、眠っている。
無邪気な顔をしている。
く、、くくく、、くく
フランツは可笑しくなって笑いだしそうになるのを必死でかみ殺した。
ディアナを起こしてしまってはいけない、と思ったからだ。
しかしおかしくて、フランツは肩をゆらして笑った。
毒かと心配したが、酔って眠っているだけとは、それもほんの少量の酒だという。
今日の気苦労が多かったのだろう。
知らない場所での毎日にも心配や苦労が多いのだろう。。
その疲れが溜まっていたのかもしれない。
それにしても、私の心配もこんなに笑い飛ばさせてくれるとは。
無邪気な顔をしている。
ディアナのなめらかな黒髪に指を通す。
「水は飲まさなくていいのか?」
マレーが頷く。
「大丈夫だそうです。お酒はほんの少しでしたので。ほんとうに、お疲れだったんだと思いますわ。」
フランツもそれに頷いた。
「ディアナ様をベッドへお運びするところでした。」
「そうか、では私が運ぼう。」
運ぼうかとするアイザックを止め、フランツは横たわったディアナの身体の下に手を入れ、抱き上げた。
「マレー、アイザック、ご苦労だった。」
愛おしそうに抱き上げる皇子にアイザックは身を引いた。
「いえ、それでは、私どもはこれで。」
アイザックは寝室に手伝いに入ろうとするマレーをとめ、一緒に退出していった。
軽々と持ち上げられた少女はその頭を皇子の胸に預け、小さな寝息を立て続けている。
見た目よりもやわらかな肌の感触が、触れる者の心を波立たせる。
このまま抱きしめていたい気持ちを抑え、フランツはゆっくりとディアナをベッドに横たえた。
そっと前髪に触れる。
やわらかな頬に触れる。。
そっとその額にくちづけをした。
「ゆっくりおやすみ・・・。」
あたたかなまどろみの中で、ディアナはフランツ皇子の香りに
包まれているような気がしていた。
北方、シラー国との国境では一触即発のにらみ合いが続いていた。
国王交代の時に乗じて領土を広げようとするシラーは、ザンジュールの動向に目を見張っているようだった。進撃の声があげられるその時がじわりじわりと近づいているようだった。
一方、ザンジュール国内でも、表立って行動はしてこないがブリミエルらの
反国王派であり、権力を手中におさめようとする者たちが弟皇子を担ぎ上げようと暗躍を始めていた。
そしてザンジュール国王は、王位を譲位する時期を静かに見計らっていた。
フランツは思案の中にいた。
このザンジュールの平安を守るため、まずは内側から反勢力を取り除き、強固なものとしたい。だが、表立って行動してこないブリミエルらを捕らえるには明白な証拠がなかった。
越境する構えのシラー国については、自分が軍を率いて制圧に向かえば今の段階であれば即刻解決するだろう。
代々国王がその団長を務める、純白のザンジュール騎士団を率いて国境を制圧し大義を上げれば、喜びに湧き上がる国民の賞賛を受け戴冠式を迎えられるだろうと思われる。それは新国王としての権威を不動のものとするだろう。
≪しかし、、≫
今、この城を離れて遠征にゆけば、反対派のブリミエルらが企てを起こさないとは考えにくい。
どちらにも行動を起こすには危うい現状だった。
シラーとのにらみ合いが切迫してきているという、エルロイ卿からの知らせに再び目を落とす。
フランツは両手を握りしめた。
コンコン、執務室の扉が叩かれた。
「入れ。」執事が顔をのぞかせる。
「皇子様、レデオン卿とウェルスター卿がお目通りしたいと参っております。
まだお時間が早いようですが、いかがいたしましょうか?」
「わかった、会おう。こちらへ通してくれ。」
執務室の窓の外には朝もやが広がっている。
シラー国との状況が切迫してきていることで駆け付けたのだろうか。
それなら早朝の早すぎる訪問も納得がいった。
間もなく二人が通されてきた。
フランツは話が終わるまで誰もとりつがないようにと言い、執事に扉を閉めさせた。
「それで、こんな早くからどんな早急な話なのか、レデオン卿。」
一礼して姿勢を正したレデオン卿はフランツのそばへ一歩より、小さな声でささやいた。
「皇子、リネ姫さまのことでお話が。」
フランツは表情には出さなかったが、内心驚いていた。
この忠臣が国家の一大事ともいえる事柄がくすぶるなか、それらよりもディアナのことを持ち出すとは思ってもみなかったからだ。
「どういうことだ?」
「はい、ぜひお近くで。」
フランツは頷いて、隣に用意された円形の小さめのテーブルに移るよう指差した。
フランツとレデオンが向き合うように椅子に腰かけ、ウェルスターは彼らの間で片膝をついた。
フランツに促され、レデオンが口を開く。
「私はリネ姫さま、いえ、ここでは大丈夫ですかな、ディアナという少女のことを伝説の救いだと受け入れました。
怪しまないことを不審に思われたかもしれませんが、それは私が伝説の青い玉を信じていたからです。」
レデオンの目はまっすぐに皇子に向けられている。
フランツは話の流れを見つめている。
「ウェルスター卿、皇子に彼女についての報告を。」
「はい。」
ウェルスターが続きを引き受ける。
「皇子、私が調べた限り、ディアナにつながると思われる情報も痕跡も失踪者も一切、何もありませんでした。
青い玉については、以前ご報告した通り、我が国の宝石商では見たことがないとのことでした。宝石商のつながりのある他国を行商する宝石商でも、全く初めて見る玉とのことです。
これらから、ディアナは少なくともこのザンジュールには居なかった者かと
思われます。」
忠臣二人が皇子を見つめる。フランツは頷く。
「ディアナはこの国の者ではないとはじめから告げていた。
その通りだった、ということだな。その点で彼女の疑いは晴れたわけだ。」
「ええ、どこか、というのはわかりかねますが。」
調べ上げたが全く痕跡が無いことにもウェルスターは納得がいかないようだったが、ディアナが嘘を言っていないことは認めなければならなかった。
「皇子、私はそのウェルスター卿の話を昨夜聞き、確信せざるを得なくなったのです。それでこうして、早い時間でしたが、ウェルスター卿とともにお目通りを願い出た所存なのです。」
「確信?何をだ?」
「その少女は伝説の救いだということをです。」
「救い?存在していた証拠のなかったディアナを、今度は卿は何を根拠に救いだと信じるのか?」
「はい、お話申し上げます。
私は青い玉が彼女の存在を認めさせる証拠だと信じます。
私は宰相の職務に就くまで、この国のためになりたいとあらゆる文献を読みふけっておりました。
過去の歴史から、よりよい未来を創ることができると信じていたからです。
その時、この国の文献に「青い玉」の話が度々出ていました。
平和が続いている今でこそ、伝説のように伝えられていますが、文献の中では青い玉は実在の宝物として語られていました。」
「その王の作りし国が危機に瀕したとき、青い竜が現れ、その王と国を守らん。」
「そうです。その青い竜が救いだとされています。
人々の口づてに広まった伝説では青い竜がどうやって出現したのか語られていませんが、文献には記されてあるのです。
竜の出現の際にはいつも『青い玉が光り輝きだし、青い竜が現れた』とはっきり記されているのです。
その少女の持つ青い玉、誰も見たことのない青い玉、それは青い竜を呼ぶための青い玉に違いないと思うのです。」
「それで、卿はディアナを誰かの手先か何かだとは疑わないというのか?」
フランツはふっと笑った。
「はい、青い竜はこの国とその王を守るもの。
この状況下で次期国王であるフランツ皇子のもとへ現れたのは、この混乱をまとめ導くため、力添えに来たのかと。
なぜそれが少女の形をしているのかはわからないところですし、昨夜からウェルスターとともに再度文献を調べなおしましたが、女や男が現れたと記している文献はありませんでした。」
「卿が伝説など信じるとは思わなかったな。」
「いえ、これが根も葉もある文献に記載されている話だからです。
ただの作り話ではありません。」
「だが、卿はその歴史をその目で見てきたのでないだろう?」
「はい、青い玉の出現があったのは一番近い時期で150年前のようですので。」
「私はディアナを少なくとも怪しい者だとは思っていない。
だからレデオン卿が疑わないでいてくれるのは、ディアナにとって針のむしろのような視線がひとつ減るという点では、いいことだと思う。
だが、それだけだ。私も青い玉を見て、最初はとっさに伝説の救いだとは言ったがそれはあの状況だったからだ。ブリミエルを捕らえることができて、私もディアナも安全が確保できれば、その時は彼女を家に帰してやりたいし、そう約束した。
私は不確かな伝説には頼らない。
ウェルスターがディアナの調査をしてくれたおかげで、国外のどこに帰せばいいかわかるかとも思ったが、どこに帰せばいいかまだわからないということがわかったよ。」
ウェルスターに視線を送る。
「ディアナは私を狙う刺客ではない。」
≪ウェルスターもディアナの近くで接してみればわかる≫と言いかけたが、
やめておいた。ライバルをわざわざ増やすことはないだろう。
「では、ディアナついての話はこれで終わっていいかな?
私は二人とシラーとの国境への遠征について話をしたい。」
「それも含め、フランツ皇子、ここからが本題です。
伝説を利用してシラーとの国境のいざこざも抑え、ブリミエルらの勢力も黙らせてしまいましょう。」
レデオン卿が口元をぐっとあげる。
ウェルスターも「私もそれには賛成です。」と頷いてみせた。
どうやら、彼らはただの伝説やらの話をしに来たのでないようだった。
「続きを聞こう。」
フランツは二人の話をじっくり聞くことにした。
伝説を利用する、とはどういうことなのか。
ディアナはどうなるのか、フランツを含めて作戦会議が行われた。
「んーーーー。。。ん。」
よく寝た。。身体がばっちり元気を貯めたみたい、すっきり目が覚めた。
高い天井、きらきらと日差しが差し込んでベッドが真っ白に輝いているみたい。
「もうお目覚めですか?」
マレーが隣の部屋から顔をのぞかせた。
「お体はいかがです?」
「うん、なんだかとってもすっきりしてるみたい。
昨日はあんなにぐったりだったのに。マレーさんの飲み物のおかげかな。」
にっこりするディアナにマレーはくすりとほほ笑んだ。
「まあ。。ディアナ様、昨夜はほんとうに大変だったんですよ。」
首をかしげるディアナ。
「覚えていらっしゃらないのですね?
まあ、ディアナ様は酔っていらしたから、無理もないのでしょうね。」
マレーは頬に手を当てて言う。
「酔う?、、だってホットミルクだったんでしょ?」
「ほんの少し、お酒を入れていたんですよ。お疲れが少しでもほぐれるようにと。」
「まあ、そうだったの。。」
「でも、ディアナ様はほんの少しのお酒にもお体が敏感に反応されるようで、そのまま倒れるように眠ってしまわれたのですよ。ほんとにほんっとに、少しのお酒でしたのに。
ディアナ様はお酒はくれぐれも召し上がらないほうがよさそうですわね。」
マレーはうんうん、とうなづきながら昨夜のことを思い出しているようだった。
「あ、、そう。。なんですね。。お酒は飲んだことがないから、、気を付けます。」
「さあさ、では朝ごはんにいたしましょうかね!」
ぱきぱき動くマレーに続いてディアナもベッドから降り、着替えを始める。
≪昨日の疲れはすごかったもんね、私。フランツ皇子は大丈夫だったのかしら?
毎日こんな大変な緊張の連続のお仕事なのかしら。。大変なんだ。。≫
「召し上がった後は、フランツ皇子様に昨夜のお礼をお伝えになってくださいね。ベッドまで運んでくださったのは皇子様ですから。」
「え・・?」
「それから、アイザック様にも。お医者様を呼んだり、介抱するのを手伝ってくださっていたのですよ。」
「ええーー!!?どういうこと?!」
着替えも途中のまま、目を丸め大声を出してしまうディアナ。
「私ひとりではお小さいディアナさまでも、寝てしまっている方を抱えてベッドまでお運びすることはできませんでしたわ。
突然意識を失われたのも、最初はどうしてなのかわからないくらいでしたしね。あまりにもほんの少しのお酒だったので。」
真っ赤な顔で棒立ちしているディアナにマレーは手を止めずに話続ける。
「ディアナ様、お着替えが途中ですよ。あ、それは前と後ろが逆ですわね。ボタン、掛け違われませんようにね。」
ディアナは驚きのあまり、うまく返事が返せないがなんとかとりあえず着替えを済ませた。
皇子に運んでもらっていても気が付かなかったなんて。
酔って倒れてしまっていたなんて。
全く覚えていないなんて。。
恥ずかしい。
どんな顔して倒れていたんだろう。
きっと意識もなかったくらいだから、口をあけたり涎をたらしたり、ひどい顔をしてたかもしれない、、
否定も肯定もできない自分にただただ恥ずかしさと隠れたいような、
昨夜に戻ってそのミルクを飲まないでいたい、、、と思った。
おかげで朝食は手を付けたものの、
何の味もわからないままだった。
お礼を伝えにいかなきゃ。。
ぁぁ、、こんなことって。。。
どこかに隠れてしまいたい。。。
☆☆☆
呼吸を整え、胸の前で合わせた両手をもう一度ぎゅっと握りしめる。
。。よし、ちゃんとありがとうって言わなきゃ。
自分に言い聞かせ、大きく立派な白い扉を叩いた。
こつん、こつん、と音が響く。
すぐに中から反応があって、扉が開かれた。
執事のベンダモンだった。
「これはディアナ様。」
「あの、フランツ皇子様にお会いしたいのですが。」
そういうと、ベンダモンは少しの間を置いてこう返答した。
「…皇子様はご公務中でして、終わるまでどなたにもお会いになれないとのことでございます。
申し訳ございませんが。。」
「そうですか。。ご公務ですものね。わかりました。また改めます。」
ぱたん、閉じられた扉を前にため息が漏れた。
ほっとしたのと、肩から力がどっと抜けたようなのと。
お会いできると思ったのに会えなくて残念な気持ちと。。
ん。。?私、恥ずかしかったはずなのに、、
会えなくて残念なのは、、、
そんな理由でも会えるのがうれしかったのかな?
複雑な気持ちを抱えながら自室に戻るとアイザックが来ていた。
「おはようございます、ディアナ様。よくお休みになられましたか?」
くすり、と笑うその隣でマレーがそそくさと部屋を出て行こうとする。
「何も覚えていらっしゃらないのですってね。」
その一言が言われるや、マレーはぷぷぷ、と笑い声とともに廊下への扉を開いた。
「マレーさん!!話してしまったの?!」
「ふふふ、お茶とお菓子など持って参りますね。」
残された部屋で、アイザックが堪らないようで笑いを爆発させた。
「そんなに笑わなくても。。初めてのお酒で、私も全く何も覚えていなくて。。」
むくれてしまいそうになる。
「でも、介抱してくれたこと、ありがとうございました。」
ぺこり、とお辞儀をした。
身に覚えがないことに更にしゅん、としているディアナはアイザックに可愛らしい妹のように見えた。離れて暮らしている妹のことを思い出した。思わず目を細めて見ていた。
「大丈夫ですよ!」
アイザックはディアナのそばに寄った。
うつむき加減のディアナに、片膝をついて下からその瞳を見上げた。
にこっと微笑むアイザックはディアナを笑顔にしてあげたかった。
すると、ディアナもその顔をやわらかくしてほほ笑んだ。
「これからはディアナ様にはお酒はお勧めしないことに致します。」
ウィンクして見せた。二人は笑いあった。
マレーさんが持ってきてくれたお茶とお菓子で
ちょっとしたお茶会が始まった。