がしゃんっ!!

けたたましく何かが割れる音が響いた。そして、
「きゃーーーっっ!!!!!」
女の叫び声が響いた。

「フランツ皇子っ?!ご無事ですかっ!?」
重厚な扉を開け、飛び込んできたのはウェルスター卿だった。

豪奢な家具が備え付けられた天井の高い部屋の中央、テーブルのそばで
口から血を流し突っ伏しているレデオン卿がいた。
まわりにはガラスの破片が飛び散っている。

胸元に真っ赤な血を受け、レデオン卿のそばに片膝をついたフランツ皇子は
駆け付けたウェルスターを確認すると早口に指示をとばす。

「ウェルスター!すぐに侍医を呼べ!!」
ウェルスターはふたりのそばに寄った。部屋に女の姿はなかった。

「突然胸を押さえて吐血したかと思うと倒れた。手を貸す暇もなかった。
すぐ侍医に診せろ。まだ息をしている。すぐにだ!」
「レデオン卿!お気を確かに!」
倒れたレデオン卿は顔が青白く、名前を呼んでも反応がない。
数人の兵士がレデオン卿を運び出していく。

「・・皇子?」
その運ばれていくのとは逆に、中庭へと続く大窓にフランツは足早に、
けれどもそっと近づいていく。
夜風が部屋に吹き入ってきている。分厚いカーテンが動いた。

すっとカーテンがめくりあげられた。
「きゃっ!」
一斉に声のほうに視線が集まる。
部屋に入ってきていた数人の兵士が皇子を護衛するようにその声のほうに剣を向ける。

カーテンの向こうに、黒髪、黒い瞳の少女が目を見開いて立ち尽くしていた。
ざっと目の前に現れた銀色の兵士たち、
血の匂い、向けられている鋭い視線と剣の数。
「ぁ・・わ・・わた・・わたし・・・」
そのあとが声にならない。

「きみは・・!」
凛とした声が響いたほうをみる。
胸に血のついたシャツを着たきれいな顔の男。
薄く青いその瞳に、立ち尽くす自分の姿が見えた。
少女ははっと我に返った。

さぁー・・っと血の気が引いていくように
その表情が青白くなっていく。
「わたし・・」
何を言ったらいいのか?

少女のそばに寄ろうとするフランツの前に、ウェルスターはその身を滑らせた。
長身でがっちりとした身体が皇子を守るように立つ。

この国の第一王位継承者、フランツ皇子を守ることがこの国の騎士団の副団長であるウェルスターの任務だった。幼い頃からの友でもあり、フランツを守ることは彼にとって誇りだった。

「フランツ皇子、正体の知れない者です。お近づきになりませんように。」
見るからにただの少女のようだが、状況が状況なだけに副騎士団長は万全を期して皇子を危険から回避させようとした。

「きみは・・私はどこかで君をみたことが・・」
この緊迫した場面に不釣り合いな言葉を耳にし、ウェルスターは耳を疑った。
だが、ウェルスターを制して少女に手を差し出そうとする皇子の顔は冗談を言っているようではなかった。

「ウェルスター、レデオンは突然胸の痛みを訴えて倒れたのだ。この少女のせいではないだろう。」
どこか思いだそうとしている顔だった。
「どこかで会ったかな?」

差し出された手を取らず、ぶるぶると首を横に振る少女。
恐怖の為か身体が震えている。
「先ほどの、あの者が倒れるところを見たのかい?」
少女は小さくこくん、と頷いた。


「捕まえろ!」どこからか掛けられた声に少女はぎゅっと身を縮こまらせた。
不安をめいっぱいに溜めた黒い瞳がフランツの青い瞳とぶつかった。
とっさに窓の外へ少女は身を投げ出していた。



少女の足は暗闇のほうへと走り出していた。
どうして逃げなきゃいけないのか?
「逃がすな!」

ただ『怖い』という思いが少女の足を前へと進めていた。
金属のぶつかる音、何人もの足音、捕まえようといくつもの声が追いかけてくる。

少女は言いようのない恐怖に襲われていた。。



フランツ皇子の制する声は、追いかける兵士たちの声にかき消され届かなかった。
「やめないか!彼女は敵ではない!傷つけてはならない!!」
「フランツ皇子、なぜですか?皇子はあの少女をご存じなのですか?
知らない者なのでしょう?誰かの手下で皇子を陥れようとしているのかもしれないのですよ?」

「ウェルスター、それはありえない。何故だかわからないが・・そうではないはずだ。」
フランツが首を横に振る。やわらかな金色の髪が顔にそってふわりと揺れる。

意志の強そうな眼差しを頑強な副騎士団長に向ける。
「彼女を無傷で保護しろ。」

ウェルスターは目を見張った。
「後で事情を説明していただきますよ。」

ウェルスターはひらりとマントを翻し、夜が迫る中庭へと駆け出して行った。
それに騎士団のひとり、アイザックも続いていく。


フランツにも理由はわからなかった、だが、心のなかのどこかから
傷つけてはならない、と声がするようだったのだ。

それにあの瞳、あの瞳を・・私はどこかで知っていた?
会ったことがあるというよりも・・
何か奥深くで知っていたような、懐かしいような・・

あの少女に会った瞬間、言い難い感覚に包まれたのだった。