「どう?」
桜子さんが鳳也にそう耳打ちするのを、私は確かに聞いた。そしてその後、アパートに目をやった鳳也さんが静かに頷くのも。
「OK」――そう言って、桜子さんは鳳也さんの肩をポンと叩く。
その途端、一斉に打ち上げ花火が上がったみたいにアパートのあちこちで光の粒が炸裂しだした。
まるで建物中に張り巡らされた導火線を伝って次々にロケット花火が点火されていくように空へ向かって幾筋もの光の帯が舞い上がっていく。
「うわぁ……」
私はアパートにたくさんいた幽霊や物の怪たちが次々に光に変わって空に溶けていく様を、まるで夢の中の出来事のように半ば呆然として見守るしか出来なかった。
ほとんどの幽霊は声を発する間もなく光に変わっていったんだけど、アパートの屋根に胡座をかいていた一際大きな体をした狐男だけは断末魔のような呻き声をあげていた。宙に浮き上がりそうな体を、鋭い爪を屋根に食い込ませることで必死に抵抗しているようだった。
「消えてたまるか! やっと見つけ出した巫女を目の前にして! おのれ! 出来損ないの鳳凰のガキが!」
血を吐くようなその怒声は、舞い上がっていた私の乙女心を瞬時に凍りつかせる。――このアパートに住んでいたときに『見つけた』って耳元で囁かれたあの声と同じだったから!
ブルブルと小刻みに震えだす私の体。それは繋いだ手を伝って鳳也さんにもわかったようで。
歯の根が合わないくらいにガチガチ音を立てて、声を出して泣きそうになったその時……。
ふわっ……
まるで大きな羽根に包まれるように、私の体は背中越しに鳳也さんに抱きしめられていた。
長くて骨ばった指が私の肩と腰をしっかりと掴んでいる。
「……怖がるな、俺がついている」
耳元で鳳也さんがそう囁いた。
わぁ……、夢で聞いたあの声だ。
そう思った瞬間、私の中から恐怖がすっかり消えてしまっていた。背中から伝わる鳳也さんのぬくもりと、私の体を抱きしめる力強い腕。手を繋いだときはあんなにドキドキしたのに、不思議なくらいに今は落ち着いている。まるで鳳也さんの鼓動とシンクロしているみたいに。
「二度と安曇(あずみ)を手放すものか。――消え去れ!」
屋根の上の狐男が屋根を蹴り私たちに向かって滑空してきたのを見て、鳳也さんの凛とした声が響く。
鋭い爪が私の喉元を掻き切ろうとした瞬間、狐男はシャボン玉が割れるようにぱちんと音を立て、たくさんの小さな光の粒になって目の前から消えてしまった。