『私用で行きたい場所があるので、先に帰って下さい』


あのあと、突然優しげになった社長にそう言われ、明日の業務確認をしてから社長室を後にすると、秘書課に残っていた深水さんに挨拶をしてからひとり、会社一階のエントランスを出た。

時刻はもうすぐ午後八時。いつもならとっくに家にいる時間だから、なんだか変な感じだ。

……なんて。私が変なのは、時間のせいだけじゃないけど。

歩道を歩きながらそっと唇に触れてみると、さっき社長と交わしたキスの感触を思い出し、鼓動がとくとくと速くなる。

明日は何を着て行こう。今日は社長に選んでもらった服だから問題なかったけど、自宅のクローゼットに、彼のお眼鏡にかなう服がある気がしない……。

そんな風に明日のことを考えると少し憂鬱になるけれど、だからといって秘書の仕事を投げ出したいわけではない。

秘書課の涼子さんはいい人だし、深見さんも……たまに放置プレイ入るのは困るけれど、根は悪い人じゃない。と思う。

まだなんとなくしか秘書の仕事を飲みこめていないけれど、庶務課でしてきた仕事に通じるものもありそうだし……。


「――美都さん!」


考え事をしながら歩みを進めていると、背後から誰かが私を呼んだ。

振り向いた先から駆けてくるのは……つい昨日まで見慣れていた、後輩の姿。


「上倉?」


ネクタイを後ろになびかせて、けっこうな全速力で走って来た上倉が、私のもとまできて立ち止まる。