「おにいちゃん?」


 俺はしばし詩織を抱き締め、感慨にふけっていたのだが、詩織が俺の肩を、小さな手でポンポンと叩いた。


「ん?」

「私、恥ずかしい……」

「何が?」

「だって、ここは通りの真ん中で、人がいっぱい歩いてるから……」


 詩織に言われて俺は初めて気が付いた。詩織が言った通りという事に。俺は、周りの事を一切気にしていなかった。確かに恥ずかしいと言えば恥ずかしいが……


「いいんじゃないか? だってほら、クリスマスだから。綺麗だな、あれ」


 煌びやかなイリュミネーションを見上げて俺が言うと、詩織もそれを見て「うん、すっごい綺麗」と言った。

 俺はそんな詩織の、光を映してキラキラ輝く瞳と、薄く開いたさくら色した唇を見ていたら、無性にキスをしたくなってしまった。そしてゆっくりと、詩織の唇に俺の口を近付けて行ったのだが……


「待って!」

「恥ずかしいのか?」

「それもあるけど、思い出したの」

「何を?」

「もしかして、おにいちゃん、中学の時の事、全部思い出したの?」

「ああ、全部思い出した。はっきりとな」

「だったら、嫌な事も全部?」


 詩織は、心配そうな顔で俺を見た。


「おまえ、よくそこに気付いてくれたな?」


 そうなのだ。俺は詩織の事だけでなく、中学の時の事を全部思い出してしまった。おふくろがアル中になり、毎日昼間から酒を飲んでいた事や、見知らぬ男と、裸で抱き合う姿を……

 やがておふくろは車に撥ねられて死に、俺は衝動的に橋から川に飛び込んだ事も、はっきりと思い出していた。


「ごめんね、おにいちゃん。私のせいで……」

「いいんだ。おまえは気にしなくていい」

「でも……」

「俺、全然大丈夫なんだよ。自分でも意外だけど、本当に大丈夫なんだ。心配してくれて、ありがとな?」


 意地でも気休めでもなく、本当に俺は大丈夫だった。当時、俺が記憶を失くしたいと思うほど嫌だった事は解るが、今は冷静でいられるんだ。当時のおふくろを、今なら解ってあげられる気がする。おやじさんに死なれ、寂しかったに違いない、おふくろの気持ちを……

 それだけ俺も、歳を取ったという事だろうか。


「行くか? 俺も恥ずかしくなってきたよ」

「でしょ?」



「そう言えば、野田にさ……」


 詩織の肩を抱いて歩き始めてから、ふと俺は思った。詩織は野田をずいぶん心配してたから、安心させてやりたいなと。後で野田に怒られそうだが、まあ、いいや。


「恵子さんに?」

「うん。彼氏が出来たっぽいよ」

「えーっ、誰なんですか?」

「それがさあ、驚くなかれ、バーのマスター」

「うわあ、本当ですか? 素敵……」


 てっきり俺は、詩織は驚いて目を丸くすると思ったが、丸というよりもハート型の目をした。


「素敵かあ?」

「素敵ですよ。だって私も、あのお店のマスター好きだもん」

「おいおい、軽々しく好きとか言うな」

「妬きましたか?」

「まあな」

「じゃあ……」


 チュッ


 なんと詩織が、背伸びをして俺にチュッとした。

 恥ずかしさと嬉しさで、顔がカーッと熱くなってしまう、俺なのだった。


(おしまい)

※本編はここまでで終わりになりますが、後日談を追加しました。もしよろしければ、引き続きお付き合いのほど、お願い申し上げます。